「平成の音楽」とは《有線イヤホンを好きな人と2人で分けながら、河原をチャリで2ケツしながら聴きたい音楽》である

Fumi Ota
6 min readMar 7, 2019

とある同い年と話していて、なぜか「“平成の曲”を1曲だけ選ぶなら?」という話になりました。

「嵐が強すぎる」「イージューライダー」「なんだそれ聞いたことねえわ」とワーワー言いながら話して、その場で出た結論は「GReeeeNのキセキ」。理由は、長期間色々なチャートで1位だったからとか、私たちと同世代なら絶対フルで歌えるってくらい有名だから、みたいな感じだったと思います。でも「平成元年から平成を知ってる人にとってはキセキなんてなんともないかもよ?」「確かに…」というやりとりもあったりして。

“平成の曲”なんて永遠に悩めるやんってほど楽しいトピックだったので、私は帰ってからもしばらく考えていて、気づいたら一晩中Spotifyを漁り、もう数年電源を入れていないウォークマンの充電器を探し(無かったので妹から借り)、自分の音楽史を振り返っていました。

平成9年生まれで平成の全体像も知らなければ平成以外の時代と比較することもできないひとが語る「平成の音楽」ってなんなんだろう。私にとって音楽における「平成っぽさ」ってそもそもなんなの?

そう思った私は平成ヒットチャートも売り上げランキングも昭和の皆さんの意見も全部ほっぽり出して「私にとっての平成の音楽」を考えることにしました。

まずは自分の音楽史、洗いざらい。

愛を込めて作ったまとめ

<まとめた時のルール>
・自分が意識を持って「聴いて」いたと感じるアーティスト名のみ
・どんなに心苦しくても映画やミュージカルのサントラは含まない
(HIGH SCHOOL MUSICALとGleeは特別扱いです。命に関わるので)
・数年に渡ってその人が好きでも、1度出したアーティストを再度別の年に出すことはしない (好きになった初めの年に書く)

物心つく頃にはモーニング娘とジャニーズ、POPは聴いていて当たり前、インターネットを使いこなす頃に洋楽アーティストと出会い、中学生になると一般教養のように邦ロックを聴き、KARAの鮮烈デビューにしっかり乗っかり、ネットバズの音楽にはしっかり手を出し、「サブスクリプションサービス」が登場すると少しインディーズっぽい音楽も聞き始める、という感じですね。

育った環境としては、父はあまりオープンに音楽を聴かない(コンポよりもウォークマンを買う)・母は家事の最中にSMAPを流すという感じだったので、わりと自分から積極的に音楽を求めに行くタイプの子どもだったのかなと思います。父がパソコン好きだったので私も小さい頃からパソコンやインターネットを使わせてもらえていたというのは関係しているかもしれません。

《なにを聴く》+《なにで聴く》

と、このようにアーティストと音楽をまとめる画像を作ったのですが、途中でもう1つ別にまとめるべきことがあるぞという気持ちが強くなりました。

それはオーディオガジェット史です。

プリクラはスペースが余ったので仕方なく載せました

私が2006年に初めて買った音楽プレイヤーは、CDを外に持ち出せるというモノでした。今思うとそんなん重いしデカイしありえないという気持ちですが、当時の私は修二と彰の「青春アミーゴ」のシングルCDに収録された3曲をどこでも好きな場所で聴けるというだけで楽しくて嬉しくて仕方がありませんでした。

音楽は、ライブに行ったりしない限りは「機器」=「ガワ」を通して再生する必要のあるデータです。その「ガワ」の発展の直線上で平成がどこにあったのか、その時はどのように便利で、どのように不便だったか。その便利さ・不便さがどのような音楽体験を生み出し、どんな音楽体験が「平成」と呼び懐かしまれるのか。本当はそこが重要なのではないか、と私は考えました。

例えば、有線イヤホンも「ガワ」のひとつです。
有線イヤホンの片方を誰かに貸して一緒に音楽を聴くときは、耳からイヤホンがスポッと抜けてしまわないよう自分も相手も静かにそばにいるようにする必要がありました。また、学校の大きなガラス窓を鏡代わりにしてダンスの自主練をする人は、イヤホンが繋がったプレーヤーを手に持ったままする必要がありました。

対して、無線イヤホンはどうでしょう。
2016年12月に発売されたApple社公式のbluetoothイヤホン「AirPods」のCMでは、男女が片耳ずつAirPodsをして音楽を聴きながらダンスをします。コードないから動きやすい、離れても近づいても二人だけで共有できる同じ音楽。有線イヤホン時代にできなかったことができるようになる。「たかがイヤホン」かもしれませんが、私はこのCMを見てすごい時代が来た…と本当に思いました。

それでも、有線イヤホンがもたらしたぶきっちょでぎこちない音楽体験は懐かしくて愛おしくて、やっぱり何物にも代え難い思い出です。

「ガワ」に宿るストーリー抜きにして「私にとっての平成の音楽」は語れない、私はそう思いました。

私にとっての平成の音楽

まとめてから気づいた大切な「ガワ」に宿るストーリーと、私が聴いていた音楽そのもの。その両方を組み合わせたら、「私にとっての平成の音楽」がなんなのかが分かりました。それは

《有線イヤホンを2人で分けながら、河原をチャリで2ケツしながら聴きたい音楽》

です。
自転車でイヤホンで音楽を聴きながらの運転も二人乗り今はかなり厳しく取り締まられるようになりましたね。(私は2回切符を切られても諦めきれず骨伝導ヘッドセットを買いました)
ポータブルな音楽プレイヤーとイヤホンを使って移動中の時間にも音楽を持ち出せるようになったこと、有線イヤホンの片方を誰かとシェアするとかいう胸キュンシチュエーションをどっかの天才が思いついてみんなこぞってやったこと、おまけにあの頃の道路交通法を組み合わせて、私はそれを「平成っぽい」と呼び、懐かしみたいと思います。

なんとあんなに悩んだのに3曲しかない。また思いついたら足していこう。きっと平成が終わってから、たくさん足したくなるんだろうな。

次の時代、AirPodsのような人々の動きの制限を取り除く機器が当たり前になった世界ではどんな音楽体験が待っているのでしょうか。信じられないほど高額な音響システムが当たり前に流通するとき、サカナクションはどんなライブをするのでしょうか。どんな音楽がその時代を引っ張っていくのでしょうか。

今からとても、楽しみです。

--

--

Fumi Ota

Keio University Faculty of Environment and Information Studies Alumni