何をもってパクリとするか

無名の人が有名な作品を真似するのは悪いことではないし責められるべきことでもない。真似された側が本来得るべき対価を奪われたと言えるときに初めて問題性が生まれる。

Hiroaki Kadomatsu
5 min readDec 3, 2013

やや時事ネタ。

星海社の新人賞を受賞した作家・作品が、先行作品のパクリじゃないか、という疑問が呈される、という話題が少し前にあって、興味深かったので少し考えてみている。

その先行作品っていうのはそれなりに、というかその界隈ではかなり有名な作家・作品であるようで、でもそうなると、それって「そもそもパクリなのか? 」という気もする。
まあ、パクリとは何か、という定義みたいな話。

もちろん、パクったとされる側が、それを事実として行った(真似した)のだとすれば、ひとつの意味としては「パクった」と言ってもよいかもしれないが、じゃあそれを、もともと「パクる」という表現が包含している「悪いこと」でもあると言えるのかといえば、微妙ではないだろうか。

これがもし、他人の未公開作品を盗んで自分の名義で発表した、ということなら犯罪と言える行為だと思うけど、今回のように、1行目から最後の行まで何一つ隠すことなく商品として公開されている作品を誰かが後から真似たところで、そこにどんな問題があるんだろうか?

真似して出来た作品を新人賞という場に提出したことが問題なのか? あるいは、それを受賞作に選出した出版社に問題があるのか?
ん〜、いや、そうではないだろう。

もしその受賞者が、巧妙にであれ愚劣にであれ先行作品を真似ていたのだとして、また出版社がそれを問題視することなく受賞作に選んだのだとしても、そのことが示すのは、「受賞者は先行作品を真似ることしかできない作家だった」とか、「出版社はそれが先行作品を真似たものだと分からない(または問題視しない)出版社だった」とかいうことであって、たとえば先行作品の著者の名誉を損なうとか、その作品の売上げを奪うとか、そういった損害を与えたと言えることではないだろう。

このケースでは、パクられたとされる作家自身がその検証を行ったとか、その作家が傷ついたとか、「ひとこと事前に言ってくれれば良かったのに」と言ったとか、そういう話を見たけど、どれも的外れなことだと感じる。

すでに全世界に向けて公開された作品に対して、「パクるな」というのは間違っているし、「パクるなら一声かけろ」も間違っている
誰にも真似されたくないならそもそも他人に公開してはいけない。公開しなかったものを奪われたとき、損害を受けた、というようなことを初めて言える。

検証を作家自身が行う、というのも、まあ趣味なら・・という感じだけど、生産的だとは思えない。
それがどの程度のパクリなのか、とかは後世(当事者たちが死んだ後の世界)の人も含めた「周り」が判断すべきことだろう。

ちなみに、本件についてFacebookで話題にしたら、いや、これは結構複雑な話で、ミステリ界隈の人間関係(構造)やその歴史みたいのも関わってるんじゃないかな、という感じのコメントをもらって、なるほど〜と思った。

思ったけど、それで同情したり共感したりすることはできるとしても、やっぱり一旦公開したならその時点からパクられる可能性があることを理解している、という状況がなければおかしいとは思う。

と、ここまで考えて、「じゃあ自分の公開作品が真似されて、そのパクった人の作品がいかに売れて、いかに話題になっても何も言わない方がいいのか?」と言われたら、ちょっと微妙なところもあるか、とも思った。

もちろんひとつの選択肢として、何も言わず黙々と自分の作品を作っていく、という判断はアリだと思うし、それをお勧めしたいとすら思うけど、

一方で、もしそのパクった側の作品を良い! と言っている人たち(今回のケースで言えば、新人賞を決めた出版社を含め)が、自分の作品(パクられた側の作品だと思われるそれ)を知らない、と思われるのであれば、「俺もこういう本を前に出してるんだよ。俺はパクられたと思ってるんだけどね」みたいな、自分はこう思ってる、という意見を表明することには一定の意味があるかもしれない。

それは何というか、決定的な何かにはならないけれど、少なくとも検証や事態の改善を促すきっかけにはなるかもしれない。

あるいは、それのヴァリエーションとして、また上記の「他人の未公開作品を盗んで自分の名義で発表した」に近いケースでもあるかもしれないけど、無名の作家が発表した、多くの人が知らない作品を、有名な作家が盗用してそれなりにヒットして、しかし元の作者には何の見返りもない、みたいな状況があった場合には(音楽業界では話題になりがち)、それに対して訴えを起こす必要もあるかもしれない。

でもなあ・・それでも何というか、やっぱりそこには、「あいつの作品、俺のをパクったくせに俺より売れてる。その読者たちは本当は俺の本を買うべき人たちなのに、俺の本を知らないだけで、あいつらが俺の本をパクって巧妙に売っているせいで俺の本の売上げになるべきものがあいつらに行ってる」という、必ずしも客観的とは言えない自分の中だけで成立している思い込みがあるんじゃないかな・・とは思ってしまうし、またそのような(勝手な思い込みによる)考えを持つこと自体は、ある意味では非常に自然なことのようにも思うけど(自分だってそのような立場に置かれたら同様に思うかもしれないけど)、やっぱり客観的に見れば、不毛(無駄な時間の過ごし方)と言わざるをえない・・という気がしてしまうのだけど。

ちなみに、最初にこの話題を見たときに感じたのは、「知ってるものが少ない人には何もかもが似て見える」ということで、たんに市場というかこれに関わっている人の少なからぬ割合が、あまりいろんなことを知らないことに起因した出来事なんじゃないかな、ということなんだけど、ちょっと話題がバラけるのでそれについては別の機会に。

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