壊れたものは元に戻らないっていうとりとめのない話

ひるね
patorashutukare
Published in
4 min readDec 9, 2016

小さい頃足を怪我して手術したことがあるので、右足の血行が悪いのではないかってことがようやくわかってきた。

ようやくわかってきたというのは、肌が綺麗っていうのも見た感じどうなっているということなのか未だにわからないし、顔色が悪いとか良いとかも正直良くわからない。そんな始末だから服のセンスがと言われてもよくわからないし手足が冷たくても寒いのか血行が悪いのかよくわかっていない。

こういう人だと思っていたから意外!って言われて、他の人って親しくなくても他人に対していろんなことやあり方を期待してるんだ…って大人になってから始めてわかって愕然としたこともある。なんというか何も気にしてないというのが適切な表現かもしれない。ついでに未だに他人どころか親しい人にも何も期待していない。誰にも期待していない。これはがっかり的な何かではなく、期待したらどうなるかっていうとどうもならないので。期待してない時より勝手にがっかりする回数が増えるだけで起こることは多分変わらないので。みんな好きにすればいい。

まあ、あまりにも気にしないでいたらついに冬は手足がしびれるようになってきて「おかしいぞ?」と思い始めた次第で。たまに運動するようにしたらしびれは消えたわけなんだけど、サボれば寒い日はたまにしびれる。ようやく「これは冷え性というやつなのかな?」と思い始めた。去年だかおととしくらいのことだった気がする。

自分は冷え性という前提で体を観察してみると、ああ、これは確かにというものにようやく気づくようになってきた。遅い。遅すぎるよ。

例えば、ムダ毛。ムダ毛というか、す…(自粛)

左足のムダ毛は黒々と太くて右足のムダ毛はよく見ないとわからない。血行に多少の差があると見えて大人になってからはだんだん右足のムダ毛は薄くなってきた。怪我して肉まで露出していたから、その部分は直っても内側はいろいろと違いが出ているということがよく伺える。動かすと角度によってはくっついた所が内部で引き攣れてるかもしれない、という部分が見て取れることもある。皮を剥かないとそんなもの当然見えないのだから完全に想像するしかないけど、その下にはきっと人体模型とは違う何かがある。

ムダ毛の生え具合を見るたびに、人体の「治る」は機能が日常生活に差し支えないように回復することであって、元に戻るということではないんだなあというのを最近改めて痛感する。よく考えれば当たり前のことなんだけど。いかんせんそれをムダ毛で体感するのはどうよ、堂々とムダ毛の太さについて語るのはどうよ、という話なので、個人的にはあまり人には面と向かって話せないのが非常に残念だったりする。書き散らかすのに好適な話題ってわけで。

ここまで書いておいてどちらの足を怪我したか思い出せないので母に聞いてみたら、あれだけ大騒ぎになって自家用車で搬送されたのに当事者も親も覚えてない。うんまあ足としては治ったからどっちでもいいよね。医療関係者だからなおさら完治したら終了した案件扱いだよね。冷えるなら気をつけて温めておけばいいしね。そうだね怪我はなるべくしないようにしたいね。いやーどっちだったかな。状態的には確実に右だと思うんだよね。これで左だったらこのエントリなんの意味もなくなるんだよね。まあだいたいのものはどうでもいいよね。

なんだその、結論としては部屋が寒い。足がしびれます。

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ひるね
patorashutukare

なんの参考にもならなければなにもわかってない。