2016年5月3日付のESPN、ブライアン・ウィンドホーストさんが寄せた、OKCのセンター、スティーブン・アダムスに関する記事ですが、とても面白かったので無謀にも意訳してみました。英語分かるマンに添削してもらおうかと思ったのですが、こっそり添削してもらって何気なく載せるのもフェアじゃないのでもうそのまま載せちゃいます。間違ってたらコメントとかで教えてください…

[2016/10/02] 訂正にあたり、B-Ball Museのnageさんに助けていただきました。ありがとうございました。

晴れた冬の日の午後、オクラホマシティのはずれにあるエプワース・ヴァレー退職者コミュニティでは、7フィートあるスティーブン・アダムスの頭が、彼を取り巻く白髪頭のファンの中から飛び出している。アダムスはビンゴをやったことがなかった — — 問題ない。彼はまるで政治家みたいにジョークを言ったり、サインしたりしている。

そして、張り合っている。

同じテーブルのおばあちゃんが、勝ったと思って叫ぶ。「Bの6、Iの22、Nの40、Gの57と、Oの62よ!」

おばあちゃんの番号がひとつ違っていることがわかると、22歳のアダムスが寄って来て言う。「ちょっと早まった(premature)ね」(※1)アダムスはおばあちゃんの胸元に留めてある、3人の孫がついたボタンをちらりと見て「でもあんたにはいい子孫がいるみたいだ」と、ニュージーランドのアクセントでさえずるようにつづける。

アダムスは結局"ブラックアウト”と言う他のビンゴ(チームメイトのイネス・カンターはズルして6枚のカードでプレイした)の勝者にもなった。純粋な運だけで勝敗が決まるゲームで「としより」を負かすスキルを自慢している。


スティーブンは、ニュージーランド中央部、湖がいくつか連なる地域にあるうつくしい街・ロトルアで育った。景勝地や温泉や鉱泉が観光客を惹きつけるが、温泉が撒き散らす硫黄の匂いがその辺りに立ち込めている。

「まるで誰かが自分の顔の前で屁をこいたみたいな匂いがいつもしてんだよ」とアダムスは言う。「慣れちゃうんだけど」

スティーブンは18人兄弟の末っ子だ。「兄ちゃんたちはおれをすごくいじめたから、子供だったおれはめちゃくちゃ泣いたね」アダムスは回顧する。「おれができることはそれだけだったもん。兄ちゃんたちにやめてって言ったってやめてくれないんだ。泣いたら父さんが来てくれるからさ。父さんはおれの騎兵隊だったんだ」

スティーブンの父親シド、6フィート11インチ、は5人の女性との間に子供を設けた — — スティーブンの母親は、南太平洋に浮かぶ小さな島トンガの出身だ。シドはスティーブンが生まれた時、60代になっていた。スティーブンが覚えている父親は、そろそろ人生に疲れてきており、交通事故で脚に負った酷い傷に苦しんでいた。

長い闘病ののち、父親のシドが胃がんで亡くなると、スティーブンは学校に行かなくなった。兄弟たちに嘘をついた。地元のギャングである Mongrel Mob のメンバーとつるみはじめた…決して大っぴらにメンバーに加わったことはなかったけれど。

「だって(入会の)儀式が酷いんだ」アダムスは言う。「誰かをボコボコにするんだよね。おれはそんなことに興味なかったから」


スティーブンには助力が必要だった。兄のウォレンに考えがあった。スティーブンは14歳だのに背丈が6フィート5インチあり、ほとんど伝説的な身体能力を持つ一家の一員だった。きょうだいのひとりヴァレリー・アダムスは、2008年・2012年の2回のオリンピックで、陸上女子・砲丸投げの金メダルを獲得し、国民的な英雄となった。ウォレン自身はバスケットボール・ニュージーランド代表チームでプレーしていた。

ウォレンは以前のチームメイト、ケニー・マクファデンに連絡を取った。マクファデンはアメリカ人で、以前ジョージ・レヴェリングの元、ワシントン州立大学でプレーしていたことがあり、その後ニュージーランドでプロとしてプレーした。ニュージーランドに惚れ込んで、引退したのちコーチになり、ニュージーランド国内の若いプレーヤーの間で強い影響力を持っていた。

マクファデンは末っ子のスティーブンに賭けてみることにした。彼はスティーブンに、ウェリントンにある100年の歴史を持つ長老派教会の学校、スコッツ・カレッジへの奨学金を都合してやった。授業料・中学校と高校の入学金などは15万ドルに及んだ。

スティーブンは、ロトルアから南に車で6時間ほどのウェリントンに、酷いなりで表れた。髪の毛は梳かしもせず伸び放題、後ろは背中の中程まであり、もつれて束になった前髪が顔に垂れていた。服はボロボロだし、読み書きも満足にできなかったが、何よりもひどかったのはその態度だった。

「おれね、それまでネクタイなんかしたことなかったんだ。野蛮人だったよ」アダムスは言う。「周りはみんな”誰だよ、この殺人鬼は?”って感じでさ。ほんとに場違いもいいとこ」

制服はイギリス風に、ネクタイと紋章入りの派手な赤いジャケットだった。スティーブンは初日、ペンも紙も持たずにクラスに出席し、どちらも借りなければならなかった。

マクファデンは、スティーブンを教育してくれる教師を見つけ、スティーブンを小ざっぱりさせ、そして導いた。モジャモジャの髪の毛や頑なに尻込みする態度がなくなってみると、教師たちはスティーブンの中に人好きのする魅力的な人物を見出した。マクファデンは、午前6時から授業が始まるまでと、放課後2時間のワークアウトにスティーブンと取り組んだ。これを数年間。スコッツ・カレッジという環境は、“スティーブン・アダムス”の揺籃となった。

「おれはただただ、よくなることに夢中になったんだ」とアダムスは言う。「コーチが目標をくれたんだ、ティップ・ダンクをしてみろって。わかる?リバウンドをプットバックダンクするの。おれ、できたことがなかった。コーチがさ、できたら新しいクツ買ってやるからって言ったんだよね。おれは頑張ったんだけど、できなかった。次も頑張ったけどダメだった。次も、その次もダメ。1年ぐらいかかったかな。とうとうあるゲームで、できたんだ。すごい興奮したよ、最高の気分だった。できてみたらさ、新しいクツなんかどうでもよくなった。あの時からだ、おれがああいうのに病みつきになったのは。達成感ってやつ」

16歳になると、スティーブンの背丈は6フィート10インチに近くなり、選手としても著しく成長し、国内だけでない注意を喚起した。マクファデンはビデオテープを送り、アディダス・ネイションズ — — 世界的に将来性のある若いプレーヤーを招いてLAで行われるキャンプ — — への招待を取り付けた。スティーブンにとっては生まれて初めての海外旅行だった。

「あいつ(スティーブン)ってちょっとした奇跡みたいなもんだよね、だってあそこ(ニュージーランド)はそんなにバスケットボールが盛んじゃないだろ」マーク・ブライアントは言う。ブライアントはサンダーのアシスタントコーチで、ニュージーランドでアダムスが行なっているこども向けのバスケットボール・キャンプに何度か同行したことがある。「(ニュージーランドでは)みんなラグビーをプレーするだろ、だからみんなタフだよね。でも、もしケニー(・マクファデン)がいなかったら、今のスティーブンはあり得ないんだ。だってケニーがスティーブンを見つけて、導いて、俺たちが見つけられるようにしてくれたんだから」

スティーブンはカリフォルニアに到着早々、ラテンアメリカのチームに入れられた。スティーブンの出身地域の選手は彼しか居なかったからだ。スティーブンにとってはまごつかせられる経験だろうと思われたけれど、スコッツ・カレッジに初めて行った時の困惑を経験したスティーブンにとって、もはやまごつくことなど何もなかった。

「スコッツ・カレッジでの経験はおれに火をつけてくれた」アダムスは言う。「おれはあそこで目覚めたんだ。今じゃ、なんだって面白いよ」

スティーブンは、ピッツバーグ大学(コーチのジェイミー・ディクソンがニュージーランドでプレーしたことがある)で1シーズンプレーした。7フッターのセンターは、ジェームズ・ハーデンのトレードで得たロッタリー・ピックでサンダーに指名された。フェアかどうかはわからないが、期待を抱かせるものだった。


アダムスは動じないという評判だ。初日からそうだった。「彼はすごくエネルギーがあって、いろんなものをとてもよく見てる」チームメイトのニック・コリソンは言う。「滅多に動じないね。物事を必要以上に深刻にとらないんだ。これって多分、育ってきた環境によるんだろうけど。彼って全部が“大したことないっしょ!”っていう感じなんだ。小さい頃からNBAでプレーしたいみたいな夢があったわけじゃないんだよ。そんな感じ」

2013年ドラフトルーキーとしての初めてのNBAトレーニングキャンプは、動きの激しいドリル、ベテランとのスクリメージが続いた。タフで知られるケンドリック・パーキンスがアダムスの胸に肘をぶち込んで、おなじみの調子で叫んだ。「おれがボス(silverback)だ!」(※2)アダムスは笑った。

「こいつはただプレーしにきてやがる、ってすぐにわかったよ」パーキンスは言う。「リーグに入ってきた時、対戦相手の名前も知ってたかどうだか分からんね。あいつはスターになりたいんじゃねえ。そんなこた、クソみたいにどうでもいいんだ」

まさしく。アダムスはNBAについてほとんど何も知らなかった。兄弟の一人が古いビデオゲームを持っていたので、子供の頃それで遊んだことはある。「最強はペジャ・ストヤコビッチだったな」とアダムスは言う。あと、兄弟の一人がラリー・バードのポスターを壁に貼っていた。だから、アダムスは試合に出ると、対戦相手に無関心だったり肩をすくめたりすることが多かったし、手加減はなしだった。アダムスは《イラつかせたことがある対戦相手》の長いリストを作る羽目になった。

ルーキーシーズンの間、ネイト・ロビンソンがアダムスの腹にパンチをお見舞いした。ヴィンス・カーターはアダムスの頭に肘鉄を食らわせた。ジョーダン・ハミルトンはアダムスの肩を殴った。ラリー・サンダースはアダムスの首を肘打ちした。ザック・ランドルフはアダムスの顎にパンチし、そのせいでプレイオフ、サンダー対グリズリーズの一回戦、第7戦までもつれた最終戦を出場停止になった。

先シーズン、レイカーズのニック・ヤングは、アダムスの喉に腕を振り当てて退場処分になった。ヤングはアダムスのことを「コソコソしたきたねえ野郎」と呼び、そのプレーぶりのせいでヤングは「カッとして、おかしくなっ」てしまったと言う。

「(いざこざの原因の)ほとんどは、おれがコーチの言う通りにしたいと思ってるからなんだよ」とアダムスは言う。「おれのコーチ、スコッティ・ブルックスなんだけども、前におれ”反応しちゃダメだ、そんなことをしたらチームに迷惑がかかるんだから”って叱られたことがあったんだ。だからまあ(殴られると)痛いんだけど、でもおれ、チームに迷惑がかかるようなことしたくないんだよね」

サンダーのビッグマンのコーチであるブライアントはそれを聞いて笑った。「スティーブンは反応しない。向こうが反応してくるのさ」ブライアントは言う。「だいたいはスティーブンが始めるんだけどね」


アダムスは成長した。彼は対戦相手と揉め事を起こすのをやめた — — 対戦相手は今や彼がどういう者であるかを知っている。アダムスの方も、対戦相手について学びつつある。アダムスは今、同業者たちの名前や傾向を学んでいるところだ。今はティム・ダンカンとマーク・ガソル。アダムスの出場時間と、その影響は上昇中。アダムスはレギュラーシーズンを終えて、ディフェンシブ・リアル+/-でリーグ12位、全体で50位だった。

「すっごくゆっくりだね。こうなりたいってのになれるまでには、時間がかかると思う」アダムスは言う。「おれはまだまだだけど、でも頑張ってるよ。時間がかかるのには慣れてるから」

彼は人間としても成長し、円熟していっている。アダムスは去年、1000人以上の子供を招いたキャンプをニュージーランドで開催している。また、彼は母校スコッツ・カレッジで学ぶ、若いプレーヤーを対象としたいくつかの奨学金に、相当額の出資をしている。彼の姪の一人はアメリカの大学でプレーする意欲を見せており、その可能性がある…


空腹。それがキーワード。アダムスは食べ物を愛している。特に、エスニック・フード。世界中のいろんな食事。昔は引っ込み思案で偏狭だったのに、いま彼は毎年オフシーズンに世界中を旅行している。そして、食べる。

「いちんちじゅうでも食べてると思うね」コリソンは言う。「今年のはじめのうちに、マイアミでね、何人かが練習の後に食料品店に行ったんだ。スティーブンは食料品店に行って、イタリアンレストランに行って、スシを食べに行って、その後でも夕食を食べる気満々なんだよ。ディナーに行ったら前菜を頼んで、アントレを少なくとも二つ…なんでも食べたいものを頼んでた。マイケル・フェルプスの食欲の話(※3)、聞いたことあるだろ。信じらんなかったんだけど、スティーブンがそんな感じだよ」

「なんでも食べてみたいんだ」とアダムスは言った。「でも台湾で食べた豚の睾丸はちょっとあれだったな…んー、まあでも、いいと悪い半々かな。頼んだ料理の一つに、料理の名前を訳したやつが”金網を飛び越える僧侶”ってのがあったんだ。スパイスいっぱいの魚の料理。すてきだった。まるで詩みたいじゃん。全てが詰まってたよ」


※1…premature には早産という意味がある。すぐ後の「でもあんたにはいい子孫 offspring がいるみたいだ」にひっかけているものと思われる(違ったりして)

※2…silverbackはゴリラの群れにいる背中の白いボスのこと

※3…マイケル・フェルプスの摂取カロリーは1日に約12000キロカロリーとのこと

2015–16シーズン中にオクラホマで放送された、アダムスのドキュメンタリー番組。

Show your support

Clapping shows how much you appreciated 7A’s story.