ファンのカタチ

ファンになるってどういうことなんだろ。

ファンのことを考えるといつも、ゲーテを思い出す。

円形劇場は、すなわち古代の重要記念物のうち、私の見る最初のものであり、しかもそれは実によく保存されている。中にはいった時、そしてまた上に昇って縁を歩きまわった時にはなおさらのことだが、私は何か雄大なものを見ているような、しかも実は何も見ていないような、一種異様な気持ちがした。実際それは空のままで眺めるべきものではない。近年ヨーゼフ一世やピウス六世のために催しをした時のように、人間をいっぱい鮨詰めにしたところ眺めるべきものである。さすがに群集を見慣れていた皇帝でも、これにはびっくりされたそうである。しかし円形劇場が全面的効果を発揮したのは最古の時代だけであった。当時は民衆が、現在よりもさらにはるかに民衆であったからである。けだしこういう円形劇場なるものは、元来民衆自身を持って民衆を驚嘆せしめ、民衆自信を持って民衆を楽しませるように作られているのである。
何か物珍しいことが平地に起こって皆がたかってくると、後方の連中は百方を尽くして前方の連中よりも高くなろうとする。ベンチに乗ったり、樽を転がしてきたり、場所での里つけたり、板をあっちこっちにかけたり、近くの丘に登ったりする。そしてたちまち噴火口のような格好になる。
見物がたびたび同じ場所で行われると、料金を出せる人たちのために簡単な桟敷が設けられる。あとの群衆は勝手になんとかする。この場合に、一般的要求を満足させることが建築家の任務である。建築家は例の噴火公式のものを人工的にこしらえる。それもできるだけ簡素にして、民衆自身がその装飾となるような具合にする。こうして集まって見たとき、群衆は思わず自分自身に対して驚嘆したのである。なぜならば、民衆は従来自分が右往左往、秩序も規律もなしに粉然雑然としているのを見慣れていたのに、この頭も多ければ心も雑多の、ふらふらとあっちこっちにうろついていた動物が、1つの高尚な体躯に合一され、1つの統一体に定められ、1つの集団に結合凝固されて、1個の精神における一個の姿態となった我が身を見出したからである。

(『イタリア紀行』相良守峯 訳)

プロスポーツに限った話じゃないけれど、なにか心躍るものがあると、大体周りに人が集まってくる。人がいっぱい集まってくるとコミュニティが出来る。一人一人もそれぞれファンなんだけど、コミュニティ全体でも一つのファン。細胞っぽい。同じチームを応援する人は、少なくとも好きなチームを共有してるわけで、そのチームを好きになるってことはどこか他にも同じ部分があるんじゃないかな。ファンのカラーってありますよね。というか、私が直接お会いしたことがあったり、ツイッターで見てたりする分には薄っすらとあります。具体的に何がってのは分からないけど。

皆さんどういうきっかけでそのチームのファンになりました?

シカゴブルズなんかは私が若い時代にはめっちゃくちゃ強かったから、ファンになるきっかけってのは分かる。でも弱かった時代もあるんでしょ、ドラ1とか取ってるワケですし?自分が大好きだったチームがなくなっちゃうとどんな気持ち?なぜずっと好きでい続けるの?

ブルズファン某氏にどさくさまぎれに話を聞いてみました。

  • そもそも親がジョーダン全盛期のブルズファンだった。
  • リーパスが無くて、試合なんかはBSでたまにしかやってなかったことで、胸の痛くなるような敗戦の様子を逐一見ないで済んだことが、暗黒時代を経てもなおブルズファンでいられた原因だと思う。
  • その頃ローズがドラ1で入ってくる。優勝しなくても、どんどん良くなるチームを見る喜びがある。

ふむ。

じゃあやっぱり「弱くて弱くてもうやんなっちゃうよ」みたいな不甲斐ない試合を見させられ続けていれば、そのうち嫌いになっちゃうかもしれないってこと?

ロケッツファン某氏にもどさくさまぎれに質問してみたところ、

  • ドレクスラーに、レストランでサインをもらったらめっちゃいい人だったのでドレクスラーのファンになった。
  • 観始めた翌年ドレクスラーが行ったロケッツが優勝したし、それからも別にタンクとかまで弱かった時代がない
  • いろいろ迷走してるのも、ロケッツらしくてほんとかわいい。

で、こちらは完全に親目線

親がNBAファンだったり、子供の時にドレクスラーにサインもらったりする環境がわたくしのような庶民にはよくわからないのですが、それはさておき。

やっぱり、ファンでい続けるためにはある程度強くないといけないのかもしれない。迷走にも限度がある。シクサーズファンに会ったことが…あっ、高校の同級生がイグお時代にフィラデルフィアに住んでいたので応援してたわ、1人いた。

そもそもみんな、ずーっと同じチームのファンなのかしら?

この辺はすごく興味深かったので、先日ツイッターのフォロワーさんのお手を煩わせてアンケートを取ってみました。

これ、第一印象としてすごく意外な結果だったんですが。半数そこそこの人が応援するチームを替えてるんですよね。

ま、日本でNBA見てる時点で、地元を応援感はほぼゼロな訳で、考えてみりゃ当たり前なのかもしれない。誰でも好きなチームが負けたら気分悪いし、たかがNBAでそんないちいち気分悪くなっていられっかよ、こっちは毎朝満員電車に揺られて通勤してんだよと(私はしてないけど)。じゃあ少なくとも自分が納得するバスケしてるチームを応援するよと。

または、最初に観た年齢も関係あるのかもしれない。途中で中断の時期があった人はきっと応援するチーム、変わってたりするのかも。子供の時には単純に点取り屋が好きだったけど、大人になってじっくり観てみたら、チームプレーの美しさに目覚めた、とかね。

どういうファンにしろ、日本にいて離れているからこそ『純粋に好き』が凝固してるってとこがある。だって地元じゃないもん。選んで好きになっているんだもの。自分の暮らしに全く・何の影響も及ぼさない、海の向こうの国のバスケットボールチームのゲームの勝敗に一喜一憂してるのって、考えてみるとなんだかとてもおかしいんだけど、限りなく愛おしい。

なんだか色々グダグダ言ってますけど、私は結局『おらほのチームが大好きなファン』がほんと大好きなんですよね!


私は2011–12シーズンからのOKCサンダーファンだ、すっごいゆるゆるなファンだけど。たまたまつけたテレビでやってたサンダー対スパーズのカンファレンスファイナルを観た時からだから、いわゆる《にわか》ってやつだ。ま、あんまり気にしてない。私には私なりのNBAの楽しみ方があるし、みんなにはみんなの楽しみ方があって、それぞれ他の人に迷惑かけない限り、各自好きなようにNBAを楽しむ権利があると思ってる。

OKCサンダーの歴史は浅い。一応、前身はシアトル・スーパーソニックスだけれど『シアトル時代からファンで今でもOKCファンだよ!』って人、いないんじゃないかな?どうでしょう。私が知らないだけで、いるのかもしれないけど。

少なくとも、私が大好きになったのは、ウエストブルックがめちゃくちゃにかき回してデュラントが〆る、あの2人が大暴れするチームだ。私はまだ、自分の大好きになったチームが跡形もなく壊れてしまう経験をしたことがない。私はその時、どうするんだろう。

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