奇跡のプロバビリティ/デュラントの移籍に寄せて

私がNBAを観始めたきっかけは、たまたま洗濯の途中につけたテレビだった。
人生は〈奇跡〉から〈よくある話〉への無限のグラデーションのどこかにある出来事の連続だ。〈よくある話〉に近いほど、よくある。そりゃそうだ、よくあるんだから。

じゃあ〈たまたま〉はどの辺にあるのだろう?

私は家に一人でいるときにテレビをつけることは、まずない。この1週間だと、テレビがついていたのは息子か夫が家にいた時間の一部だけだから、私が〈たまたま〉〈平日〉〈NBAの試合が放送されている時間帯に〉テレビをつける可能性は、ゼロに近かった。

記録を調べると、私はヒート対セルティックスを最初に観ていたはずだが、記憶にない。記憶にはないが、面白かったのだろう。だから翌日もテレビをつけた。テレビ画面に映ったオクラホマシティサンダーとの出会いは、ほぼありえない偶然の出来事だった — — 私に限っては。そしてそれは私の人生に変化をもたらした。テレビをつけなかった私は、NBAのシーズン中、平日にテレビをつけるようになった。

デュラントとウェストブルックの共存は、この蓋然性の数直線のどこに位置していたのだろうか。『両雄並び立たず』という言葉があるぐらいだから、きっと人間は何度もそういう奇跡を夢見て、そして夢敗れてきたんだろうと思う。〈デュラントという選手が存在し〉〈同時にウェストブルックという選手が存在し〉〈同じチームでプレイしている〉時代に〈たまたま〉〈平日〉〈NBAの試合が放送されている時間帯に〉〈私がテレビをつける〉可能性。
二人が一緒のチームでプレイしている間、私はずっとこれが奇跡だということを故意に忘れていた。夏休みが始まったばかりの子供みたいに。私はウェストブルックのあのカオスをとても愛しているから、試合の途中で〈しばしば〉デュラントがボールを欲しがるジェスチュアをしていることを、故意に軽視していた。〈しばしば〉は明らかに〈たまたま〉より多いのにも関わらずだ。

私はおめでたくも、デュラントが皆の前でMVP受賞のスピーチをした時、涙ながらに「おれはお前の味方だ」と言った言葉をほぼ額面通り受け取り、拡大解釈し、ずっと信じていた(誰がメディアに向かって本心をさらけ出すだろう?ウェストブルックじゃあるまいし)。
日が短くなっていくことから目を背けようとしても、夏休みは永遠に続かない。状況は変わるし、人も変わる。それにつれて人生のパースペクティブも少しずつ変わる。変わったことが次の変化を呼び起こし、そこから先は変化の雪崩だ。それがデュラントに起きたとしても不思議ではない。

生まれながらのスコアラーが、いつまで経っても優勝できない。

9年。

9年も経てば赤ん坊が掛け算をするぐらいになる。そんな長い間、選手としての全盛期をOKCに捧げて、そして一度も優勝できなかったとしたら?そんな時に、自分が理想とするチームに移籍できるチャンスがあって、そちらに賭ける選択をする可能性は?

私がテレビをつけるよりはありそうなことだ。

人はありそうなことをするし、ありそうなことは正しいのだ。

時が経ったらきっと懐かしく思い出すだろう。話す人がいたらその人に話すかもしれない。

たまたまテレビをつけたら、バスケットボールの試合がやってたんだ。あの頃はOKCにデュラントとウェストブルックっていう選手がいてね。優勝できなかったけどジェットコースターみたいで面白かったんだよ。観ているだけでワクワクしたんだ、この氷と溶岩みたいな2人が同じチームにいて共存していたんだ


私は今リビングのソファに座っている。テレビは消えたままだ。

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