クロニクル バイ ニック

ニック・コリソンがとうとう引退した。まあ誰だっていつかは引退する。しょうがないのかもしれない。いつかはみんな引退する。しょうがない。つらい。頭いたくなるぐらい泣いちゃった。でもやっぱり来シーズンも観る。久しぶりすぎてブログのアプリの使い方を忘れている。

ニックが語ったお話を拙いながら翻訳しました。


練習用のコートはデッカい金属製の箱で周りには何もなかった。実際に昔はスケートリンクだったんだ。あたりにはペットフードの匂いが漂ってた。ペットフードの工場が近くにあったから。あれはオクラホマシティサンダーの2年目で、前の年は23勝59敗だったし、その年は3勝29敗ってスタートだったから、みんな史上最弱のチームかもって思ってただろう。

実際はそんなんじゃなかった。ケビン・デュラントとはすでに1年一緒にプレーしてたけど、すでにすごい選手になってきてた。ラッセル・ウェストブルックは相変わらず誰でも彼でもにダンクしようとしてたけど、良くなってきてた。ジェイムズ・ハーデンは新入りにもかかわらず、やるべきことがわかってた。

新しくサージ・イバカって名前のやつもいたね、思ったより早くきた。英語が喋れるかどうか怪しかったけど、とにかくすごい身体能力だった。僕はこう考えたのを覚えてる。「俺らはいいチームかな」って。「うん、いいチームだ」ってさ。その時には誰も知りゃしなかったろうな、ここには将来のMVPが二人と、もう一人MVPになりそうなやつ、が同じ屋根の下で練習してるなんてことをね。

僕はすごい選手たちと一緒にプレーすることができた。二つの都市にまたがった一つのフランチャイズでキャリアを過ごすことができた。アイオワの小ちゃな街の寒々とした体育館から始めて、世界最高のリーグで1000試合以上、15年もプレーすることができたんだ。我ながらよくやったよ、自分のキャリアを自慢に思うよね。

ま、でももうそれも終わり。僕はこの熾烈な競争のリーグからは引退することにした。

僕はカンザス州のローレンスでジェイホークスとしてプレーし、NBAでも通用する習慣を身につけた。ロイ・ウィリアムズコーチは僕に、シーズン前のコンディショニング、毎日3時間の練習、「肝っ玉を据える」こと、ウェイト管理、宿題…どうやってこの仕事をやってくかってことを叩き込んだ。アレン・フィールドハウスはこの世で一番いい場所だ。

2003年にシアトル・スーパーソニックスに12位で指名されるまで、僕はシアトルについて何も知らなかった。トレーニングキャンプの3日目に僕は肩を脱臼し、その年を丸々棒に振った。

フランク・フルタード、半分引退してたソニックスのトレーナーが病院に乗せてってくれた。家に帰る途中、彼は絶望してる22歳の若造に「これで終わりってわけじゃない」ことを納得させてくれた。フランク、彼は僕が本当にだれかにそばにいて欲しかったときに一緒にいてくれた。

2回の肩の手術と数えきれないリハビリの後で僕はシーズンに挑戦する準備ができたんだけど、トレーニングキャンプで僕はレジー・エバンスとかダニー・フォートソンとかヴィタリー・ポタペンコとかの…僕みたいなルーキーを情け容赦なくぶちのめすのになんのためらいもないような男どもの中に放り込まれた。

ネイト・マクミランはオールドスクールなコーチだった。僕はハードファウルを受けた時とかスクリーンにぶち当たった時の対処のしかたを学んだ。四苦八苦したけど、シーズンの終わりにはローテーションに入り、プレイオフでよく戦ったんじゃないかな。キー・アリーナはすごい歓声で、街は僕らと共にあった…すごく良かった。シアトルを愛してた。今でも毎夏シアトルで過ごすんだ。スーパーソニックスの一員であるのがすごく好きだったから、あの終わり方は嫌だったよ。5年で4人のコーチだもの。それで、ハワード・シュルツがクレイ・ベネットにチームを売った。

ファンはチームがなくなっちゃうのを知ってた…応援に来なくなった。でもしょうがないよね、責める気なんかない。シアトルでの最後のシーズンは20勝62敗で、それでチームを街に残そうっていうんでアリーナの貸出についての訴訟なんかがあった。それが終わったら、僕らはオクラホマに移ることになった。

僕はすごく大事なことを学んだ。NBAはビジネスだってこと、関わる人はみんなそれぞれにとってベストなように振る舞うってこと。シアトルのファンはこんな目に遭うようなどんな悪いこともしてないよね。いつか、なるべく早く街にチームが戻ってくるといいなって思ってる。

2008年のオクラホマシティは…どん底。どん底から始めた。

1年前にサム・プレスティがGMになって、ほとんど更地から組織を作り上げることになった。練習するところもなかったんだ。ラスがプレイするのを初めて見たのはサザン・ナザレーン大学で、トレーニングキャンプが始まるちょっと前の事だった、練習するとこがなかったから。

で、3勝29敗。

やりきれない日もあった。スコット・ブルックスに代わった時、コーチは何かを変えなきゃいけないって思ったんだ、メンタリティの部分で。若い才能のあるやつらはどうやったらいいか知ってた。だんだん練習はしのぎを削って戦うものになった。僕らは何か…何かを作り上げ始めたんだ。ジェームズ、サージ、タボ(・セフォローシャ)がケビンとラスに加わった。

僕らは強いチームになり始めた。2シーズン目でプレイオフに出た。3年目でウェスタン・カンファレンス・ファイナルに出た。4年目でファイナルだ。

僕らは間違いを犯した…勝てなかった、けどみんな対戦相手はハングリーだった。僕は自分の役割を引き受けた。ボールを動かす、ピックアンドロールを守る。ケビンは末恐ろしいほどのプレイぶりだったし、ラッセルはどんどん成長して、みんな知ってるあのテンションでプレイし始めた。僕はジェームズとセカンドユニットで一緒にプレイするのが大好きだった。今でもクレイジーだったって思うよ、あいつらみんな24歳より若くて、それだのにファイナルに行ったんだもの。あの時もっとありがたく思っとくべきだったって思う…物事がどんなに早く変わってしまうか思い知った今では、特に。

僕は今でもジェームズがトレードされた日のことを覚えてる。あいつん家で会ったんだ。ショックだった。二人で途方にくれて座ってた。信じられなかったんだ。交渉がどうなったかとかそんなことを話し合ったけど、ただただ信じられなかった。

ええと、僕らついこないだファイナルに行ったよね、って。

まあ他にもいくつかドカンときたやつがあったけど、もういいよね。4部作のテレビシリーズみたいになっちゃうからさ。

そんな感じのアップダウンがありつつ、選手が出たり入ったりして、でもサンダーはここオクラホマシティで10年近くずっといいチームであり続けてるし、僕はそこにずっといたってわけ。

ベネットがプレスティを雇った時、プレスティはたった29歳だった。二人してこのフランチャイズを作り上げたんだ。彼らは僕ら選手を支えてくれたし、選手を支えてくれるスタッフを雇って、環境を整えてくれた。彼らは僕みたいな選手、僕という人間に価値を置いてくれた。家族の面倒を見てくれた。こんなフロントは稀なんだ。時には辛い決断をしなきゃいけなかった彼らに深甚の敬意を表したい。僕のキャリアで最良の時期はここオクラホマシティにいた時だし、それはフロントのみんなのおかげなんだ。

オクラホマシティに来て10年になる。ファンはみんな最高だ。毎晩そこにいてくれてさ、頑張ってればそれを愛してくれるんだ。OKCに来た最初の日に恋に落ちた。僕はみんなに知って欲しいんだ、僕がオクラホマシティのためにプレーすんのをどれだけ愛してるかってことをね。

OKCが僕のことを大事にしてくれることが僕や僕の家族にとってはすごく大切な事なんだよね。あまり分かってもらえないかもしれないけど。10年間ずーっとだよ。本当にありがたく思ってるんだ。僕の親友は僕の最初のチームメイトなんだ。カーク・ハインリックは一緒にプレーした中で一番ガッツがあるやつだった。ブレント・バリーは僕のメンター。ロイヤル・アイヴィーは僕の兄弟だ。

KD、愛してるよ。いなくなって寂しい。ジェームズとプレーした時、僕はすごく良くプレーできた。もっと時間があればいいのに。言い足りないよ。僕はラスがこんなに成長して、選手としても人間としても今のラスになったのを見て、まるでラスのにいちゃんみたいに嬉しいし、得意な気持ちになる。一緒に戦えたことを嬉しく思ってる。

パーク[ケンドリック・パーキンス]、エイモー[アンソニー・モロー]、ドレ[アンドレ・ロバーソン]。ルーク・リドナーは一回僕の髪をすげえヘンテコに切ったことがあったけど、彼が家族といるのは僕にとって、より良い父親になるインスピレーションを与えてくれた。

サージとタボは僕らがしでかしたミスを数え切れないほどカバーしてくれた、これってそんなに感謝されてないよね。Dフィッシュ[デレク・フィッシャー]からは多くのことを学んだ。

スティーブン・アダムスは特別。彼は謙虚さと能力とタフさの稀有な融合なんだ。チームメイトのためになんだってやるよ。めちゃくちゃ笑えるし…大好きなんだ。全員の名前を上げることはできないけどさ、みんなに知って欲しいんだ、僕はみんなと一緒に勝ちたかったってことをね。

NBAでプレーするために必要な人材で村がひとつできるぐらいなんだよ。教師、コーチ、いろんなスタッフ、助けてくれる友人たち、って具合で。ランディ・フィスカス、僕がフレッシュマンだった時のコーチ。僕にタフさを植え付けてくれた。僕の選手としての気骨はロック・ラン小学校での朝練で培われた。ビリー・ドノヴァン、僕のキャリア最後の数年、僕に率直で誠実でいてくれてありがとう。マーク・ブライアント、僕にプロたる姿勢を見せてくれた、毎日OKCのコートに足を踏み入れるたびにプロとしての姿勢を彼から教わった。

メディカルのドニー・ストラックとジョー・シャープ、彼らなしでは僕のキャリアは何年か前に終わってた。故障との付き合い方を僕に教えてくれ、手術やリハビリの全ての面倒を10年見てくれた。

ストレングスのコーチ、カンザスのジョナス・サーレイシャンとドワイト・ダーブ。僕がピックアップトラックを押して駐車スペースに入れるっていうトレーニングの間じゅう座席に座ってたな(1989年製トヨタのピックアップ。まあ一番小さいピックアップトラックだろうけど、それにしてもね)

ブライアン・キーフ、僕の一番の理解者。僕がどんなプレーが得意か、僕がチームにどう貢献できるかを一番よく知ってた。マーク・セント・イーヴズ。僕が1980年にボールボーイやってた頃からチームにいる。ロードでビール一杯やりたくなったらいつも付き合ってくれた(これからも付き合ってくれるよね)。

素晴らしい人がいっぱいいすぎた。僕がみんなに十分感謝の気持ちを表せてるといいな。

家族について言っときたいんだけど…言いあらわせる言葉があるかなあ…

すごく助けてもらった。両親。いつでもそこにいてくれることを疑ったことはない。責任を負うこと、誰かの役に立つこと、やってはいけないことを教えてくれた。何千マイルも運転して僕がプレーするのを見にきてくれた(証拠のミニバンの残骸があると思う)。

僕の12歳の娘、僕の自慢のエマ。僕が家に帰ってくると大喜び。僕のきょうだい、僕のスケジュールに合わせて休暇の予定を立ててくれた。いつでもそこにいてくれた。

ステキな女性がいるんだ、僕のことを愛してくれる素敵な女の人がね。これから一緒に過ごすのが楽しみ。

NBAでプレーするっていろんなことを犠牲にしなきゃいけないから、家族にとっては大変なんだよ。エマの母親とは親業を8年間一緒にやってる。彼女はエマを最優先にしてくれてる。感謝してる。

エマの祖父母、叔父と叔母、ナニー。エマの世話をしてくれた。彼らがいなかったら僕はキャリアを続けられなかった。

僕は幸運なやつだよ。僕がこのキャリアを過ごせたことに少しでも関係してる人みんなにありがとうを言って歩きたいよ、できるかな。

僕は一つのチームでキャリアを終えることができる特別な選手の一人になれた。チームの仲間との友情とか団結はすごくいいもんだった。ロードで、4クォーターに相手を突き放して勝った試合の後でみんなと食事に出かけるのほどいいことはないんだ。

そんな夜がいっぱいあったね。

これからはそんな風に盛り上がることもないだろうけど、僕は喜んでそれを思い出すだろうな。いろんな逸話や、みんなとの交流をね。それが一番いとおしいことなんだ。僕の時間は終わり。

長く話しすぎちゃった。もう行かなきゃ。

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