WHEN I’M IN MY DREAM

オクラホマシティ探訪記 / 到着編

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13 min readMay 14, 2018

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結局、時差ボケなのか何なのかわからないがほとんど眠れずにうとうとしていたら翌朝、日本で毎朝叩き起こされるのと同じ岡村靖幸の「ぶーしゃかloop」で目が覚めた。待ち合わせ時間は朝の8:30ごろホテルのロビーだったが、少し遅刻してしまった。ところでこのホテル、窓から見える景色が「空き地」なんだけどそんなことある?ホテルの横が空き地。

急に決まりすぎた旅行だったのでイマイチ私とレオさんはスケジュールを把握していない。NBAのウンベルトにお任せだ。

旅行が決まった時に、というか旅行を公にしていいよと言う許可が下りたのが出発の2日前ぐらいだったんだけど、その時にオクラホマシティの市長から会いたいですと言うリプライをツイッターでもらっていて、自分がオクラホマシティの市長を訪問するっていうその出来事がかなり面白すぎるので是非これはスケジュールにぶっこんでほしいと思い、レオさん経由でウンベルトにお願いし、レオさんに頼んで市長さんに返事の英文をこしらえてもらった。自分が住んでるとこの市長にもあったことないのに。でも「超ウケる」と言う理由以外にも、もう何でも経験してやる、だって夢だし、みたいなワケ分からん精神状態になっていた。

朝食はシェラトン・オクラホマシティ・ダウンタウン・ホテルのブッフェだったが、ここで念願の「ポリッジ」を食べることができた。まあ見た目はゲロなんだけど。おいしい。おいしいけど絶対日本人あんま好きじゃないだろうなみたいな味だった。あとベーコン。長い薄切りのベーコンをカリッカリにしたやつがとてもうまかった。日本に帰ったら家でやろうと思って未だにやってない。みんなオレンジジュースとコーヒーを頼んでた。理解できなかった。

シェラトンの隣がオクラホマで100年近く続く新聞社「The Oklahoman」が入っているビルだったらしい。これは後から知ったんだけど、サンダーのオーナーのクレイ・ベネットさんの奥様がこの新聞社のオーナーの一族らしくて、サンダーと地元社会の結びつきの強さは特筆に値するんじゃないだろうか。一角には前にツイッターで見たことがあった、ウェストブルックとアダムスの対になった肖像画が掲げてあった。美しい絵だった。

朝食の後に市庁舎を訪問した。市庁舎の建物は石造りで、縦にギリシャ風の柱を模したレリーフがいくつもあり、縦に伸びるラインが強調されたクラシックな美しい建物だった。柱の間には窓が配され、金属の細工を施した装飾兼ガードが取り付けてある。ドアには「銃火器持ち込み禁止」の表示があり、とても興味深い。内部は大理石の床やメタルにアール・デコ風の細工をしたエレベーターがあり、ちょっと上野の科学博物館の日本館を思い出す造りだった。1900年代初頭の建物なのかもしれない。市長のオフィスに行くとすっげえ背の高い若い市長が迎えてくれた。サンダーのカートゥーンをよく書いているスティーブさんも一緒にいた!

市役所のスタッフなんだって。「市には専属の漫画家を雇うほど余裕ないんで、たまたまだよ、ラッキー」って市長さん言うてました。

なによりも印象に残ったのはオフィスのインテリア。一番目につくところにはネイティブアメリカンのアーティストが描いたダイナミックなバイソンの絵が掲げられていて、そのほかにはオクラホマ出身のロック・バンド「フレーミング・リップス」のメンバーが描いたポップなアートワークが飾ってあった。オクラホマ出身といえばセント・ヴィンセントもオクラホマ出身ですよね、と言ってみたけど、彼女はオクラホマを出てニューヨークに行っちゃったから言ったらまずかったらしくてスルーされた。どこでも失言マシーン。

会議室にはいろんな人種の子どもたちの写真がずらりと並んでいた。多様性・ルーツといったものをプレゼンするとしたらこうすれば伝わるんだな、と強く感じた。この「統一のあるごった煮感」はとても性に合っている、と思った。

余談だが、今回の旅でチェキが大活躍して、みんな私が取り出して(撮影はレオさんがやってくれたんだけど)撮って欲しいっていうと「うおおなんだそれは」「ポラロイドみたいなもんか」とすごい食いついてホイホイ撮ってくれたのですごく良かった、おすすめ。チェキのフィルムを使えるカメラがいくつかあるので比較検討してください。

ここまで来て思ったのが(まだ1日も経ってなかったけど)、意外とマンツーマンで話してくれる時の英語は聞き取れる、ということだった。しかし自分が言いたいことを言おうとすると「ウッ」となり、死ぬ。レオさんいなかったらこの旅は全くコミュニケーション取れずに全然面白くならなかったと思うので、この場を借りてお礼を申し上げたいです。

市庁舎を後にして我々が向かったのがチェサピーク・エナジー・アリーナ…の隣の、サンダーのオフィスだった。サンダーのオフィスに向かうってそんなバカなことがあるかよ、と思いながらふつうにズカズカ入ってえらそうに「ハ〜イ!」とか挨拶してしまった。挨拶してる自分を死んだ自分の霊が斜め上から見ている感覚である。あいつサンダーのPRの人にハ〜イとか言ってるよ。大丈夫か。

出迎えてくれたのはブロードキャスティング&コーポレート・コミュニケーションのヴァイス・プレジデント、ダン・マホニーさん。マッドネスを差し引いたフィル・ジャクソン的風貌のおじさんだった。私にメールくれた人ですね、と言うと嬉しそうにしてくれた(嬉しそうにすることを侮ってはいけない、嬉しいと思ったら嬉しいという表現をするだけで相手にすごくいい思いをさせることができる)。彼と、マーケティング&ブランド・マネジメント ディレクターのドーンさん(キャプテン・ファズマみたいに背の高い女性)が主に施設を案内して色々な人に紹介してくれた。ずっと一緒にいたのがカメラクルーのヴィーという女の子で、彼女は本当にいろんなことを教えてくれたり話しかけてくれた、ありがとう。今度カメラクルーを試合の放送で探すよ、と言ったら笑っていた。

誰もいないアリーナを先に見ることができてよかった。ゲーテが、円形闘技場で観客は席を埋め尽くす自分自身に感嘆するのだ、とイタリア紀行で言ってたけどまさにそれである。空っぽのアリーナはまるで別物だった。静かで美しい死体のようだった。あした私はここに座るのか、と思ったけど、夢の中なので「そっか〜」みたいな感じだった。エニシング・ゴーズ。

ひととおりアリーナを案内してもらい、翌日のスケジュールをざっとおさらいした後で、デザインチームのオフィスに連れて行ってもらい、みんなに挨拶させてもらったんだけど異常に歓迎されすぎてまた強く「ここにいる私は一体誰なんだろう」という感じに囚われた。何かが一人歩きしていてそれが走り出してしまい、私には制御できないものになりつつあるのに、それを怖いでもなくただ見つめている感じだった。幽体離脱してた。幽体離脱してる間に「試合開始前のサイレン鳴らすのアンタだよ」とか「チョークボードがあっていつもはアーティストが書くんだけど、あしたアンタが描いてね」などの聞き捨てならないことも聞かされた。

その後で案内された部屋は、奥にバーカウンターがあり、壁にはウェストブルックが昨シーズン、アダムスが欠場して初めてジェラミ・グラントがセンターで先発したクリッパーズ戦でフェルトンとデアンドレのピックアンドロールでボッコボコにされてブチギレ、インバウンズをスティールしてぶち込んだダンクのでかい写真パネルが掲げられていた。クレイ・ベネットさんのゲストルームだそうだ。

く、く、く、クレイ・ベネットさんのゲストルーム!?!?!?

またあれだ。幽体離脱。幽体離脱してる間にサンダーのスタッフからのインタビューに答えたり、絵を描いたりした。急に描けって言われてもなあ、とか思いながら描いて、それを見てる自分がいて、それを見てる自分を見てる自分を…もうマトリョーシカみたいだった。どんどんこのマトリョーシカを開けて行った先に何もないことがみんなにバレるんじゃないかっていう恐怖が忍び込んできた。でも怖くなって急に自分が一つになった気がした。あまり気分のいいものではなかった、できればもっと楽しいことでアイデンティティを統一できる方がいい。

サンダーのオフィスは廊下にいくつも絵が飾られていた。トイレもすごく綺麗で妙に安心した。姑くせぇ〜!

サンダーのオフィスを後にした我々は、私が事前に調べていきたいと思っていた「ジャンクション・コーヒー」を探しに歩いて出かけた。まあ調べが甘くて見つけらんなかったんだけど。ごめんなさい。でも街を探して歩いていたら、明らかに東洋人の変なやつら(とウンベルト)が迷っているのを察したらしいその辺の人が「何してんの?なんか探してるの?」と声をかけてきてくれた。これはすごい衝撃だった。まあアドバイスは全然役に立たなかったんだけど、善意を出し惜しみしないことが世界をよくするんだ、みたいなすごい当たり前のことにビンタされた気分だった。我々は悪意を受けると誰かに悪意を受け渡ししたくなるし、善意を受けたら誰かに親切にしたいって思うものなんだ、という当たり前のことが自分にはできてるだろうか、という疑問を持った。私は人に善意を見せる人でありたいと強く思った。世界を悪くする人の一人じゃなく、善くする人の一人でありたい。

コーヒーショップ見つからねえからその辺ぶらぶらしてたら男性から急に声をかけられた。「ねえ、オレあんたのことインスタでフォローしてるよ」って。ぶったまげた。どういうことなんだよ。ついていけねえよ。オクラホマシティをそんな日本とかの遠いところから応援してくれてありがとう!嬉しいよ、ってまくしたてられた。自分はどうなっちゃうんだろうと思ったのと同時に、そこにかすかな見えないバリアのようなものを確かに感じた。彼らが私を受け入れてくれるのは、私が彼らの一人だからではなく「彼らの」チームを応援するよその人だからなのだ。悲しくもなんともなかった、だって事実だから。私はサンダーがどうなっても自分の暮らしがどうかなるなんてことはない。でも「彼ら」にとって、サンダーはオクラホマシティなのだ。サンダーがなくなったら住人は夜ビール飲んで試合を見ようか、なんてこともない。心から応援するチームも特になくなる。さっきサンダーのオフィスで会ったみんなは仕事がなくなってしまう。それぐらいサンダーは10年でこの街を変えたのだ、私はその中の一人では決してないんだ、と思った。疎外感ではなかった。当たり前の事実だった。このチームを好きになってよかったな、とふと思った。私は外の人間だけど、多分ひと目見て好きになった選手が全盛期を捧げたいと思うにふさわしいチームなんだから、私の直感は捨てたもんじゃなかったんだ、って。

その後に、ビル爆破事件のメモリアルミュージアム(ミュージアム内は見られなかった)に行き、アリーナの斜向かいにある植物園を見てから、『斧投げ』という謎の斧版ダーツみたいなおだやかでないゲームをして、その日の締めはマホガニー・プライム・ステークハウスだった。とにかく、味はいいんだけど量が多すぎて閉口した。肉を食うならご飯くれ感がすごい。

食事が終わるともう20時ごろだった。外に出ると夕焼けの名残がオクラホマシティの空を覆っていた。高いビルがあまりないから、所々に黒いシルエットが浮かぶだけで全天が薔薇色に、みかんの色に、紫色に染まる。サンダーのオフィスの廊下にあった「オクラホマのサンセット」という三幅の絵が急に思い出された。私はこの夕焼けを知らずに、昨季のオレンジジャージーを「ダサい」と言って嫌っていた(まあ実際ダサいんだけど)。でもあれはオクラホマシティの色だったのだ。よそ者であった私には思いもつかないほど、彼らが愛するもの…ポップカルチャーの中心でもなく、プロスポーツのチームは一つしかないような小さな小さな町が、誇りを持って美しいと思えるものの一つ、ふるさとの夕焼けを表現した、彼らの愛するオクラホマシティとサンダーの色だった。

私はちょっと胸を締め付けられたからそっぽを向いて、暗くなってきた空に感謝した。

明日も早い。(続く)

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