エジプトの話 2
ジャパン・パレス・ホテル
今回はヘルワン〜カルガオアシス〜バフレイヤオアシスの話.
なぜ「ジャパン・パレス」なのかというと,眼の前に「日本庭園」があるからだ.その日本庭園なのだが,一昔前の外国映画に出てくる日本のように,あちこちに勘違いがあった.
当時は一泊200円ぐらいだったように思う.日本円もまだ強かったし.
エレベータホールで待っていると,扉が開くたびに同じ人が乗っていてコントのようだった.結局エレベータを使うことは諦めた.
Quoraはいろんな質問があって面白い.
このときは泣きそうになった.
拘置が一日でも伸びるとがくっとくると言うが,おそらくこういう心境だろう.
理由はふたつあって,ひとつは建築部材として日干し煉瓦が使われていること,もうひとつはエジプトの習慣として最上階を完成させないことだ.最上階を完成させると,もう成長しないという意味になるらしい.
日本側もエジプト側も異分野融合(いわゆる文理融合)チームという異色のチーム構成なのだ.
チーム内にアーティストがいることは本当に重要なことだった.これこそが STEAM (STEM+Art) ではないだろうか.
この当時,治安があまりよろしくなかったのだが,比較的安全なルートとして選んだのがナイル川西岸を途中まで南下し,その後砂漠の道を行くルートだった.
砂漠の夜は本当に寒い.気温が氷点下まで落ちる.
このときばかりはカイロ空港をうろうろしているタクシーの勧誘がありがたかった.
渋々ながら荷物を運んでくれた青年のプロ根性に感謝している.もう少しチップを弾めばよかったと思う.
この時はひとりで移動だったので,カイロ〜カルガオアシスの長距離路線バスを利用していた.日本への直行便は週に3本しかなかったため,イスタンブール経由便を使った.
病室で寝泊まりするのは良いのだが,どうも塗り込められたような部屋があって,みんなで「この部屋はいったい何…」とささやきあった.
ケロシンとはほぼ灯油のことだ.こいつを噴霧すると蚊がばたばた落ちる.余程のことがない限り,真似してはいけない.
ドアノブが片方しかなくて一方向からしか開かないドアというのが,ゲーム「バイオハザード」に登場する.ゲーム中は「そんなことあるかいな」と突っ込みながらプレイしていたのだが,実際にそういうドアは実在した.
土壌サンプルの収集は不純物が混じらないように慎重に行う.服装もこうである.
ニコン製品はダイヤルやレバーが多く,その隙間から砂が入るらしい.湾岸戦争の取材でキヤノンのカメラだけ故障しなかったという噂を耳にしたことがあったが,僕の体験も同じだった.
クラーク「渇きの海」は名作だと思う.
倒れるのは圧倒的に男のほうで,2週間経つとエジプト人も日本人も倒れた.やはり身体は女のほうが丈夫にできているのだろうか.
砂漠にはところどころ落とし穴みたいになっている場所があって,そこに落ちるとミイラが出てきたりする.ロバが落ちた穴からミイラが出てきたこともあって,もともとそれをドンコロジーと呼んでいた.
途中の砂漠の風景も素晴らしいものであった.ただし,砂漠なのでトイレがない.途中,男は東へ,女は西へと歩いて分散して,再集合した.
夜は気温が下がっていることもあって,冷水だったらしい.
当時のメンバーからツイートがあった.
まだまだあるよ.