エジプトの話 4
エジプトへの道
母校の広報誌に書いた記事が偶然連続ツイート中に掲載された.記事では,計算機科学出身の僕がなぜ考古学に関わるようになったのかを短く書いたので,より詳しくツイートすることにした.
これが広報誌「せんたん」.2018年9月号に僕の記事が掲載されている.無料ダウンロードできるので,ご興味があればどうぞ.
大学院は奈良にあった.奈良といえば世界遺産と考古学.割と安直なスタートだった.
1970年台前半生まれの僕は,通常ならZ80世代になるところだが,ずっとTK-80Eしか触らせてもらえなかったおかげで8080世代の仲間入りをした.なので「インテル8080伝説」は1ページ毎に感激した.
天体観測はもちろんのこと,山登り(天体写真撮影のため),電子工作とプログラミング(プラネタリウム自作のため),イラスト描き(プラネタリウムのポスターづくり)と,あらゆる楽しいことを天文部でさせてもらった.他に手裏剣工場とか醸造所とか…ごにょごにょ…
大学には「電気工学科」と「電子工学科」があったのだが,違いがわからずに五十音順で先に書いてあった電気工学科を希望した.入学後気づいたのだが,電気工学科は「強電」を,電子工学科は「弱電」を主な専門にした学科だった.簡単に言うと,感電死の危険があるのが強電,無いのが弱電である.
毎週電気工学実験があり,そのレポートの提出に追われた.振り返ってみると,これこそが工学部の存在価値だと思う.こうやって,実験と報告のセンスを磨くのだ.
観光地になっている遺跡だとすぐ近くまで電線が来ているが,そうでないところは配電を自分たちでしないといけない.あるとき,どうしても送電線に半田付けをしなくてはいけなくなったのだが,電線の二重化をする余裕がなかったので,送電線をホットにしたまま,給電を受けつつ半田付けをしたことがあった.半田ごてがハリーポッターの杖のようになった.
簡単にうと,学部の成績が悪すぎて,大学院への推薦がもらえなかったのだ.杉山先生から「あはは,僕もだよ」と言われて,気持ちが楽になった.
1段目の先生とは,入学後1年ぐらいしてお話する機会を得た.大変な紳士で,ただ学術的内容にたいして厳しい方なんだとわかった.その1年ほどは「けしからんやつだ」と内心思っていた.
大学院時代と言っても社会人を兼務したり短期修了したり留年したりとちょっとややこしいのだけれど省略.
ゲミレル島は国境にあるのと,イスラム教徒から見ると重要な遺跡ではないために,時々トルコ空軍の演習の対象になっていた.
猫のいる街は大好きだ.猫がのんびりしている街は,人も優しい.
当時は距離を測るのに地図をなぞったものだ.今は Google Map で距離が割り出せるので便利だ.
一番大きなお札が100万リラ札だった.これで100円ぐらい.
もともとタクシーメーターの桁数が多かったので,特注なんだろうなあとは思っていた.それでも足りなかったようだ.
後に泊まったイスタンブールのホテルは1泊が1億リラちょいで,100万リラ札を100枚と少し出して支払った.
ただし,サソリが生息するようで,ある年隊員が靴の中に隠れていたサソリに噛まれた.宿にはブーツを入れるための靴箱が設置されていたのだが,その靴箱の中にサソリがいたらしい.
なぜ考古学者は手のひらで文字を読むのだろう.
この瞬間の光景は忘れられない.地中海の青と無人島の緑の中に,鮮やかな赤が浮かび上がったのだ.
そして少しコンタミの心配をした.
同じくこの日から,ある疑問を持つようになった.なぜキリスト教徒は聖母マリアを信仰したのか.
なぜ映像の女性が重信房子とわかったかというと,日本語でテロップが出ていたからだ.日本のニュース映像を引用したのだろう.
トルコは,特にフェティエのような田舎では,反米感情は強い.だが,なぜ日本人が米国を攻撃したことになってしまったのかは,未だにわからない.
エルトゥールル号遭難事件の恩返しというわけではないだろうが,親日的な人が多いようだった.その後僕はできるだけトルコ航空を利用するようにしている.まあ,クーデターでフライトがキャンセルされてからは疎遠になってしまったが.
同じ時期北米に行っていた同僚はしばらく日本へ帰れなかった.
今思うと,南極も良かったのかも.
このとき僕のカンボジアに関する知識はゼロだった.どこにあるのかさえ,おぼろげだった.
そして途方に暮れた.
今の羽田空港の深夜便は人の気配がするのだが,当時の関空の深夜便は本当に寂しかった.とにかく,空港全体が暗いのだ.
こういう情報は家を出る前に見ておくものである.
今でも覚えているのは,20代女性銃で撃たれる,30代男性鈍器で殴られるの2件.
立ち寄ったバンコク国際空港のあたりから,体調は少しずつ戻っていたように思う.日本以外の東アジアは初訪問だった.
こういう陽気なおっさんは好きだ.
審査官も慌ててやってきたのだろう.「おい誰か入国審査やってるか?」「わかんねえ,電話してみるか」「もしもし,パスポートコントロール,あれ,お前誰だ?お,おい,ジョージなんて知らないぞ」
後で聞いたところ,ホテルから迎えが来ていたらしい.悪いことをした.
バックパックで移動していたのだ.
アンコールワットにドイツの調査隊が鉄パイプで足場を組んでいたのだが,太陽光でちりちりに焼けてしまって使い物にならなかった.やはりアジアでは竹で足場を組むべきだ.
この優先順位は学生にも繰り返し言い聞かせている.最近になって2と3を入れ替えたが,1は絶対だ.
水には注意しよう.カンボジアでは天然のココナッツジュースが手に入るので,喉を潤すにはココナッツジュースがおすすめ.
シェムリアップは観光地なので,レストランは多い.それどころかカラオケ店まである.ただし,当時は知らなかったのだがカラオケ店「ピョンヤン」はさすがにまずい店だったらしい.
そのレモングラスはアンコールワットのお堀に生えているようだ.子どもたちが収穫しているのを見かけた.
アルカロイドだな.植物はうかつに食べてはいかん.
ある色彩学の教科書ではこの緑を「ユニークグリーン」と呼んでいた.ともかく,緑に反応する視細胞は赤にもかなり反応する.そのため,緑のし細胞だけを刺激することは通常不可能なのだ.
叫んだ内容もはっきり覚えているのだが…Facebookに書いておくかな.
猫もライオンも獲物の内臓を先に食べてしまい,余った肉は放置してしまう理由がわかった.内臓は美味いのだ.ところで,鍋料理をしていると天井からヤモリが鍋に落ちてくるのには閉口した.
カンボジアには足を失った人が多い.自分が被害者になるかもしれないと考えると,対人地雷は非人道的で,条約で禁止するのは当然のことのように思う.一方で,海外線が長く軍人の少ない日本では,対人地雷が唯一の防御手段ではなかったのかとも思う.
Japan’s Safeguarding Angkor は外務省がファンディングしたプロジェクトで,僕は東大の池内先生のチームにジョインしていた.
トルコでもカンボジアでも,隊員がばたばた倒れていく中で僕は倒れなかった.ただ,それで油断したのか,エジプトでは倒れた.エジプト人たちと90分ハーフ,全体で3時間を超えるフットボールをしたせいだ,と思っている.
このまとめを書いている最中に,第1目標の800万円に到達した.クラウドファンディングに参加してくださった皆様に深く御礼申し上げる.皆様はエジプト調査の正式メンバーだ.
逆に言うと「明日できることは今日するな」となる.
あと,ツイッターにはだいぶ助けられたし,ツイッターのフォロワーさんにも助けられた.感謝.