オイラーの贈物

Ichi Kanaya
Pineapple Blog
Published in
8 min readAug 25, 2015

--

僕はオイラーの公式を心から美しいと思う.僕の墓石には,ああ,割り箸でもいいのだが,この式を彫って欲しい.

オイラーの公式とは e^it = cos t+i sin t のことだ.数学とキュビズムが苦手な人に,無粋を承知で説明をしたい.

足し算から負数を知る

まず,我々はマイナスの数つまり負数を知らねばならない.そんなの知っているよと思われるかもしれないが,17世紀のヨーロッパでは数学者でも負数を知っている人は少数派だった.

え?気温が氷点下になったらどうするの?

我々が使っているセルシウス温度目盛(摂氏)だと寒い冬の気温はマイナスになってしまうが,西欧のほとんどの国でかつて,そして米国ではいまでも,ファーレンハイト温度目盛(華氏)が使われていた.華氏0度は寒剤が凍る温度で,マイナス17.8度(摂氏)だから,余程のことがない限り0度以下にはならない.もし0度を下回れば,もう十分寒いのだから,温度なんて無かったことにすればいいのだ.

そう,そんな数は無かったことにすればいい.これが当時の常識だった.(商人だけは違った.彼ら彼女らはちゃんと不足分を赤い字で書いていた.)

ところが,負数が無いといろいろ困ることに人々が気づきはじめた.その最大のものは方程式である.方程式は英語ではイクエーション (equation) と呼ぶが,これは二つの数式をイコール (equal) で結ぶことからきている.ヨーロッパ人よりも早く中国人がこの概念を発明し,九章算術という本の「方程」という章に載せたため日本を含む中国文化圏では方程式と言う.

世界最古の記録に残っている方程式は古代エジプトまで遡る.方程式を扱う数学を代数学と呼ぶ.後ほど見ることになるが,未知数という「代理の」数が登場するからである.代数学は英語でアルジェブラ (algebra) と呼ぶが,これはアラビア語の al-jabr (復元するの意)から来ている.

この話は次の短いTEDトークによくまとめられている.

さて,方程式の例にこんなものがある.ある数 x に3を加えたところ5になった.ある数 x とは何か?方程式で書くと x+3=5 である.答えは x=2 になるが,答えはどうでもいい.大切なのは答えの導き方である.いま我々は x+3=5 の両辺から3を引いた.つまり x+33=53 として x=2 を得た.

これは大事なことである.方程式 x+a=b があったときに,その答えは x=b–a なのだ.これで,どんな数が来ても答えられる.では x+3=1 の答えは? ふむ x=b–a だから x=13 ですね.えええっ? と,当時のヨーロッパ人は驚いただろう.なんでも解けるはずではなかったのか.それとも,この式は無かったことにすればいいのか.(後述するオイラーもまた,このような解には意味がないと考えていたようである.)

足し算だけからなる方程式を解こうとしたら,解けないことがあったのだ.何かが隠されているに違いない.

ある数学者が勇気を振り絞って x+3=1 の答えを x=–2 とした.ついに負数(マイナス)を認めたのだ.(繰り返すが,商人は昔から認めていた.)こうして,負数が認められるや,方程式にはひとつの革命が起こる.未知数 x に係数のついた ax+b=0 というかたちの方程式(これを1次方程式と呼ぶ)は,負数を認めれば必ず解けるのである.

掛け算から虚数を知る

ヨーロッパの数学者たちは,お互いに難しい方程式を出し合ってその答えを競い合ったそうだ.例えば,方程式の中に未知数 x 掛ける未知数 x つまり x^2 が入る2次方程式の解き方もすぐに見つかったようだ.方程式 ax^2+bx+c=0 の一般解(解き方)は今では中学生も知っている.

ここでもう一度問題にぶつかる.とても単純な方程式 x^2+1=0 が解けなかったのだ.未知数 x は自乗すると–1になることになっている.そんな数はあるだろうか.負数–1を自乗すれば1になってしまう.いま欲しいのは,自乗すると–1になる数だ.

もちろん,そんな数は無かったことにすればいい.長い間,方程式 x^2+1=0 の解は無いとされてきた.

数学者たちが自乗すると–1になる数の存在を渋々認めたときも,その数が現実に存在することを信じられなかったため,虚数と名付けた.そして,アルファベットから1文字を割り当てて i で表すことにした.すなわち i^2=–1 であると,取り決めた.

Gauss

ここから数学は思わぬ発展を遂げる.大天才ガウスは,あらゆる方程式の解が,虚数を認めれば存在することを証明した.負数,虚数の次はもう無いのだ.もしあれば陰数とか偽数とか呼んだのかもしれないが,そのような数は無い.

負数を含めた元々の数を実数と呼び,実数と虚数を混ぜ合わせたものを複素数と呼ぶ.二つの実数 xy があったとき x+iy は複素数である.全ての複素数は x+iy の形に分解できる.

英語では実数がリアルで,複素数がコンプレックスだ.ガウスが言ったのは,あらゆる方程式はコンプレックスの中に解を持つということだ.

足し算と掛け算が隠していたもの

おそらくはガウスも同じ結論に達していたと僕は思うが,オイラーはひとつの公式を(再)発見する.この公式は,幾何学におけるアルキメデスの三平方の定理のようにシンプルで力強いために,何度も何度も再発見を繰り返されている.僕のお気に入りは,リチャード・ファインマンの方法だ.それを紹介しよう.

10^t を求めたいとする.もし t が1よりもうんと小さければ,そのとき 10^t=1+2.03026t となる.この数字はどこから来たのだろう.もし t がうんとうんと小さくなっていくとすると 10^t の値はどんどん1に近づいていく.そこで 10^t と1との差を t で割ってみると,その速度がわかる.事実 t を 1/2, 1/4, 1/8, … と小さくしていって,そのたびに (10^t–1)/t を計算すると,その値はどんどん 2.03026 へと近づいていく.

逆に t がうんと小さい時に e^t=1+t となるような e を10の代わりに選ぶこともできる.その e の値は 2.71828 である.

Euler.

ファインマンは,そしてたぶんオイラーも,もし t の代わりに虚数 ite の肩に乗せたらどうなるだろうと考えた.

使ったツールは e^t=1+t と足し算,掛け算だけである.

驚く無かれ,ひとたび e の肩に虚数を乗せてみると,その結果はコンプレックスになる.もともと e^t=1+t だったのだから tit に置き換えると e^it=1+it になる.

ガウスは地図の東西に実数,南北に虚数をとって,コンプレックス e^it の地図を作った.この地図はだからガウス平面とも呼ばれている.そして e^it というコンプレックスを t を変化させながらガウス平面に描いてみると,なんと真円が浮かび上がる.

かつてカール・セーガンは,一般向け小説「コンタクト」の中で円周率の中に小さな画家の署名があると想像したが,彼が言いたかった本当のことはこういうことではないだろうか.

足し算と掛け算だけで,真円に到達できる.

地図の東西を x 軸,南北を y 軸としよう.東と北をそれぞれ正の方向とする.このとき,半径1の円は三角関数 cos および sin を使って,次の式で描くことができる.

x(t)=cost, y(t)=sint

ガウス平面では平面上の一点には一つのコンプレックスが対応する.円の上にある点を z とすると

z(t)=x(t)+iy(t)

であって,この式の x, y を展開すると

z(t)=cos t+i sin t

となる.式 z(t) は真円を表す.

オイラーの式は

e^it=z(t)

を主張するのだ.

オイラーの公式の左側 e^it は足し算と掛け算の世界,つまり代数学の世界である.一方,オイラーの公式の右辺には三角関数(cosとsin)が登場している.これは幾何学の世界である.中心のイコール記号は,二つの世界が同じものであることを,誇らしげに表している.

リチャード・ファインマンは,オイラーの公式を人類の至宝と呼んだ.

僕は全宇宙の宝と呼んでもよいとさえ思う.

2019–01–01: 文中に「(後述するオイラーもまた,このような解には意味がないと考えていたようである.)」を追記した.

2019–01–01: STEAM blog (Quora) に転載した.Quora版のほうが数式が読みやすい.

--

--