山口英先生

Ichi Kanaya
Pineapple Blog
Published in
4 min readMay 11, 2016

「和歌山大学に就職決まったんだって?良かったな.今度ラーメン食いに行こうな.」

1999年1月某日に,すぐる先生に言われた言葉だ.

山口英先生(右)(写真提供:京都三条ラジオカフェ)

僕は大学院生時代,いや今でもかもしれないが,研究者としても教育者としても,全く箸にも棒にもかからない存在だった.実際入学して半年は講義にも全くついていけず,引きこもりもした.唯一,ハッカー(コンピュータスキルを持つ人)としての能力には自信を持っていたのだが,それも入学とともに粉微塵に砕かれた.要するに大海を知らない蛙だったのだ.

入学試験の口頭試問で唯一ポジティブな反応を下さったすぐる先生とは,僕が違う研究室を選択したにもかかわらず,偶然同じフロアになった.いつかすぐる先生と同じ土俵に立ちたいと思い,Macユーザだった僕はPCを購入し,OS/2とWindowsを捨てて FreeBSD 2.1.5-RELEASE をインストールした.子供じみた猿真似だが,BSDカーネルに触れられたのはこの後多少効いてくる.

入学1年後の1996年に,偶然にも大きなプロジェクトですぐる先生とご一緒することが出来た.カメラからのライブ映像をリアルタイムにエンコードし,インターネットと通信衛星を使って配信するプロジェクトだ.僕たちは試行錯誤の上,UDPの上に今で言うRTPと同じ概念のプロトコルを独自実装した.

世界で初めてのIPによる映像の衛星中継はこうして生まれた.最初に流れた映像はテストに使っていたTV放送の「あぶない刑事」で,最初のライブ映像はすぐる先生のお尻だった.映像が通ったのがあまりに嬉しく,すぐる先生がカメラの前でズボンを脱いだのだ.中継先から電話で「やめろ山口〜」と砂原秀樹先生に言われた.

このプロジェクトで,すぐる先生は僕を対等のハッカーとして扱ってくれた.

その後,僕が所属した研究室の千原先生の講演の裏でライブコーディングするという無茶を一緒にさせて頂いたり,伝説的な北海道での衛星通信実験をご一緒させて頂いたりと,思い出は尽きない.彼から学んだことはたくさんあるが,一番のお気に入りはこれだ.

出張先ではうまい飯を食い,良い宿に泊まれ

もちろん自腹で,である.あと,たとえ一泊でも荷物はすべてアンパックすることも教わった.かつてカエサル率いるローマ軍はたとえ一泊の宿営でも野戦築城したと言うが,確かにこれをしておくと翌日の立ち上がりが違う.

僕が急遽学位論文を書くことになってずっと大学に泊まりこんでいた時にも,フロアで見かけるといつも「よぉっ」と声をかけてくれた.冒頭の和歌山ラーメンの話もちょうどその頃だ.教授会で千原先生から僕のことを聞かされた後だったのだと思う.学位論文執筆中というのは何でもネガティブに見える期間なので,明るい声に本当に救われた.

在学中,ただひとりハッカーとして僕を認めてくれたすぐる先生の思い出を,今日は言葉にしたくなった.

すぐる先生,ありがとう.

金谷一朗

Image courtesy of Pringles

追記:そういえば,すぐる先生がトレードマークだった髭を落とされたのと,僕が髭を蓄え始めたのが同じ時期だった.すぐる先生は,髭を剃られた日「鏡見てたらさあ,髭そったらどうなるのかなって思っちゃったのよ」と笑っておられた.学位論文提出後しばらくして,僕は千原先生から「和歌山のすぐるになれ」と見送られた.

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