何者かへの道

渋柿として生きなさい

Ichi Kanaya
Pineapple Blog
Jul 12, 2020

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Quora日本語版に「何者かになるにはどうすればいいでしょうか?」という質問が投稿された.

昔このブログでも書いたことのある内容なのだが,もう一度書き直すことにしたい.この回答は学問の世界に関してのことだが,おそらくは学問以外の世界でも同じことが言えるだろう.

学問の世界で「何者か」とは一流研究者のことだ.そこで,一流研究者への道を僕なりにまとめてみたい.

1990年代にとある大学教授が以下のような趣旨の発言をメーリングリスト上でされた.

大学院博士後期課程を出た直後ぐらいの研究者を五流としよう.その後の道は,
五流→四流→二流
という道と,
五流→三流→(壁)→一流
という道がある.

これを図にすると次のようになる.

学位取得直後ぐらいが五流(柿の種)だ.ここから,オリジナリティを求める(莫迦に徹する)渋柿コースと,ものまねをする(賢く上を目指す)甘柿コースに分かれる.甘柿コースを選ぶと,すぐに四流(未熟な甘柿)にはなれるだろう.一方渋柿コースだとなかなか上のランクである三流(渋柿)には上がれない.

甘柿コースで四流になると,普通はそこから「駄サイクル」を回すことになる.身内だけで褒め合うってやつだ.

業界が未熟な場合は身内褒めをしつつ一定数の仲間を増やすことも必要だが,四流しかいない駄サイクルはまず何も産まない.しかも悪いことに,駄サイクルを回しているうちに四流の研究者はしばしば二流(甘柿)になる.自分たちが勘違いしているうちに,世間も勘違いしてしまうという流れである.そして,二流は世間的には三流よりも上なのだ.

多くの研究者は三流を目指して去っていくし,なれたとしても三流は世間的な評価が低い.こうして二流ばかりが残る. 三流になるためには莫迦に徹しないといけないし,そこを突き抜けた大莫迦だけが一流(干柿)になれるのだから,割りに合う生き方とは到底言えないだろう.

…と,ここまでがその教授の受け売りだ(柿の例えは僕のオリジナルだが).件の教授はさらに「だが若者よ,三流で終わることがあっても一流を目指せ」と続けたことは言うまでもない.

僕はこの話には続きがあるように思っている.次の図を見てもらいたい.

一流の中には,歴史の中で成熟されるレベルの超一流(燻製干柿)がいる.一方で,世の中には超一流と並んで超二流(甘柿ジャム)という人々もいる.駄サイクルを超えた超駄サイクルを回すことで,世間的には一流と見分けがつかない,あるいはそれ以上と思わせることに成功する糖度を持った甘柿ジャムになる人達のことだ.

超駄サイクルとは何か.メディアや業界団体が世間を巻き込んで,二流の人物をヒーローに祭り上げるプロフェッショナル駄サイクルのことだ.残念ながら,メディアを見れば超二流の例によく出くわすだろう.超駄サイクルを回すにはそれなりの経済規模と文化規模(深度ではない)が必要なので,平成の時代には超二流は大都市に集中していたのだが,最近ではネット上でも見られるようになってきた.

僕自身は研究者として三流にも達していないが,ひとりのTEDxキュレータとしては,一流と超二流の区別がつけられる目を持っていたいと思う.

初出: 「何者かになるにはどうすればいいでしょうか?」への回答一流研究者への道

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