We are only human

私達は人間に過ぎないのだから

Ichi Kanaya
Pineapple Blog
8 min readAug 6, 2020

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Ari Beser (Photo by Shuji Moriwaki)

アリ・ビーザー

以下の原稿はアリ・ビーザー氏による TEDxSaikai 2018 のトークを翻訳したものです.

今年の1月13日午前8時07分に,ハワイ州のすべての携帯電話が一斉に警報を伝えました.「弾道ミサイル警報.直ちにシェルターを探しなさい.これは演習ではない!」36分もの間,人々はパニックになりました.

人々は手近なところに隠れ,愛する人へ電話をし,ベッドの中で抱き合い,人生の最後の瞬間を待ちました.そして,突然,第二の警報が届いたのです.先程の警報は人為的ミスによる間違いでした.誤報だったのです.

この時期,ハワイに弾道ミサイル攻撃があってもおかしくないほど,世界の軍事的緊張が高まっていました.北朝鮮が弾道ミサイルを発射すると,20分でハワイの真珠湾に到達するそうです.北朝鮮はまだ非核化されていませんしね.私たちは第三次世界大戦へ近づいているのでしょうか?いいえ,もし違った見方をするのなら,世界平和は目前まで来ているのです.そのポイントは,私たちがお互いの違いを認められるかどうかという視点です.

私たちは他者を区別しがちです.Facebookで気の合う仲間としか話をしませんし,戦時中は交戦ラインを越えて話し合うことがありません.これは仮定の話ではなく,現実の話です.パレスチナ人とイスラエル人は話し合うことが禁じられていますし,ヨーロッパ人は何百万という難民に扉を閉ざしています.韓国と北朝鮮の関係はいまだ不安定ですし,トランプ大統領は掛け声とは逆に事態を悪化させています.

文化や衝突を超えて,私たちは話し合う必要があります.しかしその前に,私たちはお互いの体験を「聞く」ことを学ばねばなりません.そうしなければ相手も同じ人間だということを見逃します.相手を動物だと思ってしまうと,次は檻に入れようとするのです.

私はこれまで,広島,長崎への原爆投下後に生存者がいた事を知りませんでした.私たちは,原爆投下は戦争を終わらせるためだったと学校で教わってきたのです.そして,広島,長崎を飛んだ爆撃機の両方に搭乗した唯一のアメリカ人である祖父のことを,ヒーローだと教わってきたのです.

いま,70年前にアメリカと敵対していたこの日本で,しかも従軍していた私の祖父が人生をかけたここ長崎で,友人として私がお話していることには,特別な意味があるのだと思います.祖父もまた結果として命を失うことになる原因となった核攻撃の地,長崎に私が呼ばれたことも,特別な意味があるのだと思います.皆さんがこの地で私を歓迎してくれる.この事実は,私たちには何が達成できるのかを示しています.私たちは,平和を実現できるのです.私たちは,ひとつになれるのです.

私は日本に来るまで,第二次世界大戦を理解した気でいました.日本が始めて,米国が終わらせたと.しかし私は日本に来て知りました.広島と長崎に,どれだけたくさんの一般市民が住んでいたのかを.

私はこのことを核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)から知りました.ICANは400のNGO組織から成り立っています.

ICANは2017年にノーベル平和賞を受賞しました.ピースボートとヒバクシャ・ストーリーズはICANの一部として,多くの被爆者を世界に紹介しました.ヒバクシャ・ストーリーズは4万人を超える学生たちへ被爆者の証言をニューヨークで伝え,さらにはトルーマン元大統領の孫,ニューヨーク・タイムズ編集長のクリフトン・ダニエル,そして私に会わせました.彼ら彼女らのミッションは,核兵器の危険性を訴え,和解を即すことでした.

ヒバクシャ・ストーリーズのように,対話をもたらす組織がもっと必要です.

歴史に耳を傾け,歴史を繰り返さないように心がけるならば,両方の当事者に話を聞かねばなりません.何が起こったのかではなく,どのように起こったのかを.被爆者と,原爆を投下した人間とでは,正反対の体験をしています.しかし,同じ結論に達するのです.このようなことは,二度とあってはならないと.

私の祖父の仕事は,原爆が正しく地上500メートルで爆発するようにレーダーを設定することでした.このような仕事を出来る人物は限られていたため,彼は2度のミッションに参加しました.もし日本が降伏しなければ,3度めもあったでしょう.

2度のミッションに参加した唯一のアメリカ人,そして私の「おじいちゃん」になる前,彼はただのジェイク・ビーザーでした.20歳の,ジョンズ・ホプキンス大学で機械工学を専攻する,学生だったのです.

彼の家族は30人ほどの養子を迎えました.戦時中のドイツから,ユダヤ人難民を受け入れたのです.彼はイギリスまたはフランス空軍に参加して,ナチと戦いたいと望みましたが,その時はまだ年齢が足りませんでした.その後,真珠湾攻撃がありました.

ジェイクは歩兵隊を志願しましたが,結局はマンハッタン・プロジェクトへ配属されました.配属初日に,この秘密プロジェクトは戦争を終結させるためのものだと教えられました.彼はナチと戦うことを諦めましたが,このプロジェクトが戦争を早期に終結させ,ナチも終わらせるものだと信じました.

彼は両方の爆撃機に乗った唯一のアメリカ人になり,ふたつのきのこ雲を見た唯一のアメリカ人にもなりました.「海辺へ行って波打ち際で砂を蹴ったら,水中を砂が舞い上がるだろう.それが,きのこ雲の形だ」と彼はよく言っていました.

1991年,彼は骨にがんが出来ていると診断されました.彼は知らなかったのですが,被爆していました.彼は被爆者だったのです.

彼は広島,長崎の被爆者と同じように,被爆によって亡くなりました.

私はいつも記者たちに「彼は生前,原爆投下について罪の告白をしましたか?」と聞かれます.いいえ,彼はしませんでした.

とはいえ,彼は自身のしたことに口を閉ざしたりはしませんでした.彼は死の直前まで,スピーチ原稿を書いていました.スピーチは実現しませんでしたが,彼は「人道への最悪の罪」の証人として事実を訴えることをライフワークにしていました.彼は,核兵器が二度と使われないことを願っていました.

なぜこんなことがそもそも起こってしまったのでしょうか?

資源とイデオロギーのため?いいえ,そうではありません.私たちが分離されていたからです.私たちがお互いを知らなかったからです.お互い同じ人間であることを,知らなかったのです.

日本は先の大戦をABCD包囲網に対する自衛だと考えていましたし,兵士にはアジアを欧米の支配から開放するためだと教ていました.一方で米国は,日本が真珠湾攻撃を行ったから自衛しなければならなかったと主張していました.

戦争にたったひとつの真実と呼ぶべきものはありません.あなたの真実と私の真実は同じとは限らないのです.しかし,双方が被告で,どちらも侵略者ではなく,そして6,000万人が死ぬということがあってよいのでしょうか.

私は祖父の乗ったエノラ・ゲイとボックスカーのふたつによってもたらされた大量虐殺の話を聞きに,日本へ来ました.生存者たちは地獄を生き延び,トラウマを乗り越え,70年前の出来事を語ってくれました.私に向かって怒鳴りつけるでもなく,追い出すでもなく,私を暖かく迎えてくれたのです.中には,家族のように迎えてくれる人もいました.

私は信じます.誰でも,心を開けば,衝突や文化を超えて,理解し合えるはずです.

終戦後,私たちは核兵器の急増を目の当たりにしました.もし核兵器の惨事を忘れてしまったら,軍はいつか再び核兵器を使うかもしれないと,私の祖父は恐れていました.核兵器の性能向上を考えると,次の核攻撃が行われたら人類は絶滅するだろうと,彼は確信しました.私もそう思います.しかし,私たちはこの時代を生き延びられるとも思います.

昨年,国連の122の国が核兵器禁止条約を採択しました.核兵器の無い世界を目指すのです.これまで,核保有9カ国はいずれも参加していません.核保有国は投票を棄権し,同盟国に圧力をかけました.しかし,世界は立ち上がったのです.団結すれば,力が生まれます.集まれば,国際法や社会規範を変えることが出来ます.核武装という汚名も,核兵器へ注ぎ込まれる資金も,止めることが出来るのです.いえ,そうしなければならない.核兵器がある限り,意図にせよ事故にせよ使われてしまうのは,時間の問題なのです.

「私たち」対「やつら」という精神的な対立を乗り越え,核兵器は廃絶しなければいけません.私たちは,単にお互いが人間 (only human) にすぎないからです.

翻訳: TEDxSaikai

アリ・ビーザー (Ari Beser) 氏は写真家,ジャーナリスト,「The Nuclear Family」著者.核兵器廃絶国際キャンペーン (ICAN) で2017年ノーベル平和賞受賞.祖父はエノラ・ゲイ(広島へ原爆投下),ボックス・カー(長崎へ原爆投下)の両方に搭乗した唯一の米国人.2011年に来日し,被爆者の体験を全米へ広く伝えた.ナショナル・ジオグラフィック・ストーリーテラー,フルブライト奨学金などを受賞し,福島原発事故の取材も続けている.

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