家
ここは家。
僕の憩う場所である。プライベートスペースでもある。つまり僕自身である。
一人で家にいると様々なことを感じる。
上の階に住む人の物音が聞こえる。
隣の人が何か言ってきたり、言いにきたりすることもある。
窓の外を人の影が通る。
向かいの建物には人が生活している。
突然なるインターホン。その画面には人が映る。もしこのインターホンを解錠すれば、この人は僕の家の入り口まで来る。この人が思えば僕の家に入ることさえもできる。
電話が鳴った。受話器の向こうで人が話している。その人が自分自身であることはまずない。
近くの道でボールを投げる音がする。こっちに飛んできたらどうしよう。何か起きたらどうしよう。
僕のプライベートスペースは周囲を人々に囲まれている。
僕のプライベートスペースの内側に、電話から、玄関から、窓から、壁を通して、インターネットから、スマホから、テレビから、ラジオから、本から、様々な人や物、情報が侵入して来る。
多くは防ぐことができるが、防げないものがあることも事実である。
僕自身は常に何かに侵される可能性を持ち続けている。
家賃を払っている人がいる。引っ越しを繰り返す人もいる。家を買う人もいる。
その人を仮に彼としよう。
彼は自分のプライベートスペースに毎月10万円を払っている。しかも、その自分のプライベートスペースには気軽に色付けをしたり、飾りづけをすることはできない。
彼は彼自身を、常に何かに犯される可能性を持つ彼自身に毎月10万円を支払い、しかもその彼自身を自由に自分色に染めることはできない。
彼は自分のプライベートスペースを幾度も変える。周囲の環境も同じように幾度も変化していく。
彼は彼自身を幾度も変化させる。そして、自動的に彼の周りをも幾度も変化させる。定まった彼が彼自身に占める大きさはごく小さく、また彼自身を支えるものもまた小さい。
彼は自分のプライベートスペースを金で買う。時には他者からお金を借りて、それを何十年もかけて返し続ける。
彼は彼自身を金で買う。彼自身を得るには金という外部の媒体が必要であり、さらに他人の力を借りなければならないことも、他人からの信用が必要なこともある。また、自分に財力を得られるだけの力も必要である。
ここは僕自身である。
僕は生まれてして僕自身を形成したはずである。
しかし、社会はそれ自体を僕自身と認めるのであろうか。
僕が生まれてしてできた僕自身のみで僕自身を形成することは容易ではない気がする。
社会という生まれてから死ぬまで抜け出せない世界の中で、それをなかなか知らされないまま自分を自分たらしめなければいけないこの社会は、本当に自分たちのための社会なのであろうか。
僕たちは僕たちのためにこんなことをしているのか。
そしてこれらは本当に僕たちのためになっているのだろうか。
僕たちに必要なのであろうか。
僕たちは自分で自分を容易に保てない存在であるという悲しい事実を常時考え感じ続けながら生き続けなければいけない。
そんな世界から抜け出すただ一つの方法は、死である。
しかし、実は死ではこの世界から逃れられないかもしれない。
輪廻転生ではまたこの世に戻って来る。
天国や地獄も、この世界と同様に社会である。
社会から人間が逃れることはもうできないのかもしれない。
と、家にいるといつも考えるものだ。

