[スイス・チューリッヒ]チューリッヒのポスト・パンデミックにおけるバルコニー、またはこの健康危機から私たちが学べることについて|Post-Quarantine Urbanism
※日本人読者へのスムーズな紹介のため、原文にはないリンクを適宜挿入した
スイスの現在の状況
COVID-19の視点から見れば、スイスは隣国であるイタリアやフランスほど国際的なメディアの注目を集めていない。しかしスイスは、世界的に見ても住民ひとりあたりの症例数がもっとも多い国のひとつだ。なかでもチューリッヒのイタリアに隣接した地域がCOVID-19の温床になっていて、今日まで(訳注:本稿の初出は2020年4月19日)に約1,100人が命を落としている。3月16日、連邦参事会は2013年改正のスイス感染症法にもとづき「非常事態」を宣言した。これを受け、スイス連邦制の構造上、通常は26の州の管轄内にある権限を、連邦参事会が引き受けることができるようになった。「非常事態」の宣言には、店舗やレストラン、バー、娯楽・レジャー施設など、かなずしも必要でないすべての事業の閉鎖が含まれている。公共交通機関の運行を縮小したうえ、チューリッヒ市は独自にハッシュタグ「#bliibdehei(#stayathome)」を使って、住民に自宅で過ごすよう呼びかけている。公共スペースでの5人以上の集会は禁止され、私たちが知っているような一般的な屋外生活は停止してしまった。
こうした公共空間におけるアクティビティが厳しく制限されたことを受けて、メディアは私たちの家のなかに関心を移している。たとえばスイス公共放送局のラジオ「La vie chez soi」(=Life at our place)では、隔離されている人たちが家のなかでの体験を話していて、人気になっている。そんななか、湖や川、公園など公共の屋外インフラが重要な役割を果たしているチューリッヒでは、ある空間が屋外との関連性を取り戻そうとしている──バルコニーだ。
バルコニー・ショートヒストリー
都市研究者のキャロリン・アロニスは、バルコニーの特徴を、プライベートとパブリックの「閾(いき)liminal」に見出している。歴史をとおして関連性が変化しているにもかかわらず、バルコニーの閾的な特徴は重要でありつづけてきた──バルコニーは、封建制度がしかれた時代には権力と支配力を市民に示す場所だったし、産業革命時には労働者や増大していた中産階級のためのアパートの台頭によって庶民の手に届く場所になって、彼らにも同じような支配感の体験を可能にしていた。社会学者のアンリ・ルフェーブルは、パリのバルコニーから重要な仕事の大部分を書いていて、「道や通行人を支配する素晴らしい発明だ(訳注:Henri Lefebvre, Rhythmanalysis, 1992, pp.37–38、未邦訳)」と称賛している。
チューリッヒでは、バルコニーはしばしば市民と市当局のあいだで論争の対象になっている。たとえば2016年には、市議会が市の建築遺産を保護するため1999年に修正したゾーンプランに、バルコニーの張り出し許容寸法を150cmから120cmに減少させる提言が含まれていたことについての議論が起こった。この30cmをきっかけに、個人の自由を著しく侵害しているという非難からバルコニー自体の必要性への問いかけまで、多種多様な激しい政治的議論が展開した。建築的な観点から見れば、チューリッヒにおけるバルコニーは厄介者あつかいされている──人びとはそれを要求する一方で、その目立ちすぎる張り出しとアナキスト的な個人主義が建築の形態を乱しているのだ。
パンデミックにおけるバルコニー──レジャーを超えて
時は流れ、COVID-19の時代になると、バルコニーはパーソナルなものであることが不可欠になってきた。バルコニーがあれば、私たちはアパートの閉所恐怖症から解放され、たとえば食べられる植物を育て、バーベキューやヨガ、Zoomミーティングへの参加、モーニングコーヒー、タバコ、夜のジン・トニックを楽しみ、ありふれた余暇を過ごすことができる。最近では、22歳の若者が近隣の高齢者にベランダから参加できるエクササイズ教室をはじめていて、こうしたアクティビティを隔離された状態でおこなうにしても孤独である必要はないことをあきらかに示している。COVID-19は、ベランダのまったくあたらしい活用法をも与えているのだ。市民は「Alles wird gut — 何もかも良くなるだろう」と書いた横断幕をバルコニーに飾ることで、他者とコミュニケーションをとる方法を見つけた。ソーシャルメディアの投稿は、これらのメッセージを増幅させ、他者を動員している。たとえば、イタリアの都市での先例にならい、バルコニーから小さな即席のコンサートを開催し人びとを励ます投稿がFacebookでも投稿されている。宗教行事までもが自宅でおこなわれるようになっていて、チューリッヒの地元の教会では老人ホームの中庭から説教がおこなわれ、住人たちは中庭に面したバルコニーから参加した。正統派(ユダヤ教)のコミュニティは記念日であるペサハ(過越祭)を、今年は自宅のロッジアでおこなった。そのほかの国からも、社会生活・文化生活で重要な役割を果たしているバルコニーの同様のストーリー──屋根を越えたあたらしい恋、バルコニーへのドローンによるデリバリー、マラソンをベランダで完走したフランス人など──が報告されている。
ポスト・パンデミック・バルコニー
これらの事例は、ポスト・パンデミック都市のデザインにCOVID-19からの学びをいかに活用できるかという問いを投げかけている。こんにち、慣習化した公共インフラは余暇や他者との社会的な交流を求める私たちのニーズに応えている。しかし、隔離された時間が増える未来において、バルコニーは公共インフラの代わりになるだろうか? ポスト・パンデミックにおけるバルコニーが担うあらたな責務をどのようにデザインに反映できるだろうか? イタリアの建築家ステファノ・ボエリによるミラノの垂直の森のユートピアのように、私たちはエコロジカル・アーバニズムへ移行しているのだろうか?
くわえて、COVID-19による危機は、住民の要求に応じて再定義/再構成が可能だというバルコニーの変容力を明らかにしている。私たちは、政府が目的の頻繁かつボトムアップな変容に寛容な(30cmに目くじらを立てることなく!)、「バルコニーの都市」と呼ばれるテルアビブ(訳注:イスラエル第2の都市)から学ぶことはできるだろうか? そして最後に、私たちの将来のバルコニー都市において、テクノロジーがどのような役割を果たすのかを問うべきだ。パンデミック時のバルコニーを使った事例の多くは、ドローンのようなまったくあたらしいテクノロジーやソーシャルメディアを取り入れ、物理的な空間にデジタルなレイヤーを重ねている。オランダの建築ファームMVRDV創設パートナーのヴィニー・マースは、テクノロジーが未来の都市をより3次元的なものにするのだと信じていて、彼のヴィジョンには空飛ぶモビリティがバルコニーまで乗り付ける都市が描かれていた。
未来がどうなろうと、いま現在のパンデミックは、バルコニーと私たちの関係性を再考し、最終的には都市を居住可能でありながら回復力(レジリエンス)のある場所として維持するための都市密度を、私たちがどのように組織したいかを考えるための理由にはなっている。
Melanie Imefeld
スイス・チューリッヒ出身のITコンサルタント、都市デザイナー。特にカルトグラフィーとデータヴィジュアライゼーションに興味があり、データ分析は都市の複雑なネットワークを理解する助けになると信じている。ときおり自身でマップを作成している。早くベランダから出られることを願っている。
訳:春口滉平(山をおりる)
原文