[中国・武漢]人間の条件についてのすべて|Post-Quarantine Urbanism

文|Shu Wei

原文|PlacyMedium
初出|2020年4月17日

※日本人読者へのスムーズな紹介のため、原文にはないリンクを適宜挿入した

2020年4月7日、中国・武漢でのロックダウン解除前日、人びとはまるでその日がもうひとつの閉鎖的な大晦日だったかのように、日付が変わる深夜0時に向かってカウントダウンしていた。エッセンシャル・ワーカーたちに敬意を払ってLEDで「ヒーローたちの街」と照らされた光のショーによって、夜は輝いていた。同じ頃、BBCニュースはイギリスの首相の健康状態についてライブ配信していた。ボリス・ジョンソンが集中治療室に連れて行かれた翌日、世界中の何百万人もの人びとがボリスの迅速な回復を祈り、そしてこのような言葉が人気トレンド2位につづいた — — いまこそ中国のせいにする時だ。

武漢のロックダウン解除を祝う光のショー(sourced from Twoeggz Media)

私たちはこれから中国の、現在も進行するのコロナウイルスによるパンデミック、国家による措置、そしてポスト隔離社会の姿に迫っていくことになる。しかし、COVID-19のジオ・ビジュアライゼーション(訳注:インタラクティブな可視化ツールを用いて地理空間データの分析を支援するツールや技術)が世界の地図を駆使しはじめたいま、世界のダイナミクスや国際的な感情に触れないままに話を進めることはほぼ不可能だ。

パンデミックラボにおけるガバナンス・テスト──勝利のための中央集権化?

カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の都市研究者であるベンジャミン・ブラットンは、今回のCOVID-19によるパンデミックをウイルスの「コントロール変数」による異なるガバナンスシステムを検証する最大の比較実験だと説明した。ウイルスとの戦いのデータを素直に見れば、中国は3月19日にローカル感染者数0を達成し(1日の感染ピークである14,108人に達した2月12日からわずか1か月ほどしか経過していない)、効果的な中央集権型ガバナンスモデルを提示している。

中国のCOVID-19感染データ(graph sourced from World Data Meter)

中国モデルの国家介入を見てみよう。ウイルスの拡散を抑圧するため、1年のなかで家族の参集がもっとも重要な時期である旧正月の直前、湖北省全域(首都は武漢)で厳重なロックダウンが実行された。このロックダウンは、ソーシャルメディア上で流行っているハッシュタグ #StayAtHome のようなソフトなスローガンではなく、むしろ政府の措置によって施行された法律だった──公共交通機関は完全に停止し、駅や空港はどこにも行けないよう閉鎖され、社会福祉に従事する労働者やビルの管理者は地域住民の健康状態を注意深く監視していた。

抑圧は感染防止のためだけにあり、最終的にウイルスは短い期間内で医療とインフラの力を評価するための早送りテストになった。はじめの2週間、武漢では、医療従事者と患者が肉体的・精神的に奮闘した膨大な事例を目の当たりにした。国をまたいだ資源の再分配によりキャパシティを過剰に引き上げ、衣料品メーカーから自動車メーカーまでの国有製造企業は医療機器とマスクの製造ラインに組み込まれ、2万人の医療従事者と疫学者が国中から武漢に集まり、2,600床の大規模な隔離病院が12日間で2棟建設され、行動データは感染データとともに政府の管理化で保存されていた。しかし、パンデミック初期の地方自治体による隠蔽、そして私たちに警鐘を鳴らしてくれたにもかかわらず命を落とした李文亮氏へ流した涙を人びとが忘れない限り、これを勝利だと呼ぶことはできない。

ポスト隔離社会のモビリティ・トレース──自由のための自己開示?

中国が迅速な封鎖措置を成功させた背景には、政府の指令によるマクロな管理にくわえて、個人の位置情報の大量利用がある。そう、個人データ──欧米のメディアが中国政府への抗議としてもっともエキサイトしている言葉だが、ポスト隔離社会の現実は、プライバシーと必要とされる情報開示の境界線をこれまで以上に曖昧にしている。

現在(訳注:本稿の初出は2020年4月17日)、中国の全都市で徐々にロックダウンが解除されつつあるが、いまだに通常の生活は戻ってきていない。2月初旬に杭州市ではじめに公開され、杭州市の自治体と中国の大手テック企業アリババが開発した「Health Code」は、日常生活における移動の安全性を保証してくれるアプリだ。オンラインプラットフォームを用いて申請すると、まず自己申告の健康アンケートに基づいたカラーステータス(緑、黄、赤)がユーザーに発行される。ステータスはその後、スマートフォンのGPSを介して追跡されたユーザーの行動を用いて動的に更新される。デジタルヘルスコードの取得は市民の義務ではないが、公共交通機関の利用や都市間の移動、さらにはほとんどの公共施設(スーパーマーケット、ショッピングモール、オフィスビルなど)に入るためには、緑のカラーコードが必要になる。

ヘルスコードのキャプチャ(緑=安全、自由に移動可能|黄=長期の自己監視のため保留|赤=危険、ウイルス保持者との直近の身体接触の可能性あり)

その優れた採用率、明白な利便性、検証された(すくなくともそう理解された)セキュリティによって、「Health Code」は中国全都市に展開され、3月中旬までには9億人のユーザーを獲得した。一方で、個人の日常生活や家族ネットワーク、社会への露出など、ペルソナの背景にある膨大な量の個人情報の漏えいや悪用への懸念が高まっている。アリババやテンセントなどの大手テック企業は、消費者データを政府に共有せず、アプリ内の位置情報の追跡はユーザーの同意のもとにあることを宣言したが、特にプライバシーに敏感な中国の若い世代からは、不正な監視の可能性への疑念は晴れなかった(Yang et, al., 2020)。パンデミックへのケアのためのデータセキュリティと自己開示のあいだには、つねにジレンマが存在している。しかし、パンデミック時において中国のマジョリティが前者によって構成されているとき、それに従うことが公的な選択になりはじめる。

また、地理的位置情報をベースにしたCOVID-19の追跡が世界的に拡大していることも注目に値する。イギリス政府は国民医療制度(NHS)と連携し、潜在的なウイルス保有者を特定するための接触追跡アプリの開発に取り組んでいる。Appleは、地方自治体が公共政策のために利用できるよう、人びとの移動量をスクリーニングしモビリティデータの傾向を示すツールをリリースした。GDPRがヨーロッパのインターネット上で広く適用されているように、データの保護は中国に限られた課題ではない。「安全が確認された公共圏を移動するための自己開示」と「未知の危険をともなうシェアスペースの自由な移動」、どちらが私たちの望む自由に近く聞こえるだろうか?

「メディアはメッセージである」──隔離はどのようにエンターテイメントをつくりなおすか

自己開示はつねに妥協するものではなく、隔離社会/ポスト隔離社会のエンターテイメントについてのストーリーに注目すれば、ポジティブなシェアにもなりうるだろう。ロックダウンのあいだに、中国版TikTok「Douyin(抖音)」の利用者が1日に200人増加するなど、中国では動画ライブストリーミング配信が国内エンターテイメントの主流となった。人びとは家庭での料理、インドアでの運動、ちょっとした日用品の買い物のための移動などをストリーミングしている。よくできた映像をシェアするために人気YouTuberになる必要はなく、すべてのショートクリップは日記のように気軽に位置づけられている。このことはもちろん、マーシャル・マクルーハンの有名なことば「メディアはメッセージである」を思い起こさせる。もはやコンテンツ自体が注目されているのではなく、ライフビデオというかたちで独自のメッセージを発信しているのだ。

  • 壮大なパンデミックにおいては、物語を目撃した誰もが物語そのものになり、参加の感覚はパニックと不確実性によって実際に増幅される
  • 物理的な距離の確保が避けられなくなると、人びとはネットの世界で見知らぬ人たちと共にいるという感覚(ヴァーチャルに同じ時間と空間を共有すること)を追い求めるようになる
中国閉鎖中のユーザー増加率──動画共有プラットフォーム「DouYin」が1日平均76%の増加率で1位(sourced from QuestMobile Research)

もうひとつのポスト隔離社会におけるあたらしいソーシャルトレンドは、見知らぬ人と出会うとき、アイデアによるつながりがホルモンによる(訳注:性愛的な)つながりを上回っていることだ。隔離による孤立は出会い系サイトのようなネットワークサービスの需要を増加させるとの予想に反して、MOMOやTanTanといった主要なソーシャル/デートアプリのロックダウン中の利用率は劇的に低下した。他方で、コミュニティベースのアプリ(DouBan(中国版Reddit)やQQ(訳注:中国のチャットアプリ)のグループチャットなど)の人気が高まった。COVID-19の叙事詩下において人びとは、以前のように効率的にオフラインにできそうにないヴァーチャルな恋愛よりも、一緒に閲覧/議論可能な話題に夢中になりやすくなっている。PCのウィンドウを眺めるだけの孤独な時間に進行しているライフイベントの予測不可能性は、実際にホルモンの力を弱めている。

ポスト隔離社会の感情ゲーム──情報と人間の条件についてのすべて

COVID-19の感染爆発が中国から世界中に広がっていくなか、ウイルスそのものを超えた感情的な事例も現れている。欧米諸国の中華料理店は、中国料理がウイルスに関連付けられるために大きく売上を落とし苦しんでいる。UCバークレー(カリフォルニア大学バークレー校)は留学生をなだめるために、パンデミック下に外国人に嫌悪感を抱くことは普通の反応であるという内容をインスタグラムにポストしていた(すでに削除されている)。ボリス・ジョンソンの病状を伝えるストリーミング中にはツイッターで「すべて中国のせいだ」というコメントがしばしば見られるようになった。一方で、ヨーロッパや北米で毎日のように増加する死亡者数は、社会経済的なショック下で誰しもの神経を刺激し、中国の人びとや文化に対する否定的な態度が強まり、そもそもかつて彼らがもっとも絶望的な犠牲者であったことは忘れられてしまった。

中国系イタリア人の男性がコロナウイルスに関連した偏見に抗議(https://www.youtube.com/watch?v=lULceASXv88

しかし、地域人種差別はなにもないところから発生しているわけではない。興味深いことに、閉鎖後の武漢と中国のそのほかの地域とのあいだには微妙な「地域内の人種差別」が実際に存在している。ある女性は、故郷である武漢から自宅に帰り、すでに2週間の自己隔離を終え健康であることが確認されたにもかかわらず、それを知った隣人が急に社会的距離をとったとウェイボー(Weibo、訳注:中国で人気のSNS)で語っている。アイデンティティや共感がシェアされているため防衛反応はそれほど激しくないが、中国人のむき出しになった恐怖心や不確実性は欧米からの中国への悪意に近いかたちで根付いている。死への恐怖と最愛の人への不安、それは人間の条件についてのすべてだ。くわえて、パンデミック下における情報不足やデマの拡散もまた、否定的な固定概念化をエスカレートさせている。5Gがウイルスの拡散を加速させているという陰謀論のようなさまざまなノイズがバズっているなか、メディアのキャッチャーな見出しの背後に隠れた感染防止のための努力や試行錯誤を理解するのに十分な紹介や努力を、いまだだれも与えてはいない。誤解は、多忙を極める現代の読者に共通の末路になる。

Shu Wei
バックグラウンドはゲーム開発と人文地理学。現在はブラックロック(ロンドン)にて勤務。パンデミック直前にスタンダップコメディをはじめ、やめた。故郷の武漢がどこにあるかを友人に説明する必要がなくなったことがうれしくもあり悲しくもある。

訳:春口滉平(山をおりる)

--

--

山をおりる|Yama wo Oriru
Post-Quarantine-Urbanism in Japanese

「山をおりる」は、建築・都市のあたらしい表現を模索するためのエディトリアル・コレクティヴです。ウェブマガジン『山をおりる』『ちがう山をおりる』を運営しています。