他者と「つながる」ための必要条件とは何か

他者と分かり合うための「当事者研究」の可能性。

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「つながる・つながり」ということばからどんなイメージをするだろうか。SNSが日常的なコミュニケーションツールになってきている現代では、その動詞が意味する象徴は、他者とのオンライン上の結びつき機能のことかもしれない。あるいは、「つながりの社会性」まで包含しているときもあるだろう。

一方で、自分自身の身体とのつながりに目を向けてみると、いずれは他者とのつながりに回帰するかもしれない。そんなことに気付かされた本がこちら。

東大先端研の研究支援員と特任講師である綾屋紗月さんと熊谷晋一郎さんの共著作。綾屋さんはアスペルガー症候群、熊谷さんは脳性麻痺の当事者である。

アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラムの一部である。もっとも、「精神障害の診断と統計マニュアル(通称・DSM)」の最新版である2013年発行のDSM-5によると、アスペルガー症候群の診断はAutisim Spectrum Disorderに包含されその診断名は姿を消している。

自閉症スペクトラムの特徴は、よく「ウィングの三つ組」として説明される。それは、

1)コミュニケーションの障害
2)社会性・対人性の障害
3)想像力の障害

である。あくまで、「外の他者からみた特徴」。これが、内側(=つまり、当事者)からみると、

「どうも多くの人に比べて、世界にあふれるたくさんの刺激や情報を潜在化させられず、細かく、大量に、等しく、拾ってしまう傾向が根本にあるようだ」という表現になる。

とのこと。ああ、とても、違う。

このことに気づけただけでも価値高い、この本。

アスペルガー症候群の、当事者本人が感じている<障害>は、外部から得られる情報や刺激を優先順位づけできないことによる、他者とのつながらなさの過剰であるということ。

個人の感覚や身体性の特徴が理由で、他者とのつながりが適度にできないひとにとって、当事者研究という手法論は生きづらさの解消だけでなく生きるためのパワーにつながる、画期的なものであるように感じた。

誤解を恐れずに言えば、自分理解により自分の一部である困難さを切り離していくことであるからだ。

北海道浦河町にある精神障害者の地域活動拠点「べてるの家」でケースワーカーを務めてこられた向谷地生良は、当事者研究の具体的な手段を下記のようにまとめている。

①〈問題〉と人との切り離し作業を行うことで、「〈問題を抱える自分〉を離れた場所から眺める自分」という二重性を確保する
②仲間とともに、自分の苦労の特徴を語り合うなかで、医学的な病名ではなく、自分の苦労の内実を反映した自己病名をつけていく。
③苦労の規則性や反復の構造を明らかにし、起きている〈問題〉の「可能性」や「意味」を共有する。
④自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え、場面を作って練習する。
⑤結果の検証と研究成果のデータベース化

最後のデータベース化とは、個人の日常の実践に対して意味付けをする、という文化やコミュニティのルールを、コミュニティ自身が行う作業のことを指している。

自分の身体感覚は自分だけのもの。

そして、ことばとして記述・表現することでより自分だけのもの感が強調され存在感が増す。その記述・表現のプロセスのうちに、同じような悩みを抱えるひとたちが介在し、言語化を助け共有し一緒になって主体としての「わたし」を立ち上げる。この共同作業による「わたし」の立ち上げにより、客体の「私」が明示され、困難さに対して一定の距離感を保つことができる。

他者とつながるためには、「自分(=私)」と他者の共同作業による「じぶん(=わたし)」の立ち上げが肝心ということ。

障害者支援の支援現場の話だけではなく、生きることに一定の困難さを抱える存在(つまり、人間みんな)に共通の話題だと思う。

テクノロジーにより自分の感覚を補完したり拡張したりすることで生きやすさを獲得することはできる。

けれどもその一方で、自分の感覚とのつきあい方を心得ておくことだ。

感覚と身体、認知は密接に繋がり合っていてそれぞれが独立に働くことはほぼない(これが独立にばらばらにされてしまうことを、時に虐待とみなすことはある。これはこれで別の話)。

自分の感覚を見つめることなしに、補完・拡張・代替することは、自分の身体性や認知についても理解せずに過ごしてしまうことにほかならないし、そうして出来上がった自分と他者の関係性もどこかに得も言われぬ違和感を感じてしまうだろう。

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Daiki Enomoto
THE Telepathy. -books, ideas and future-

Researcher at LITALICO Inc.「テレパシーがある未来を創り出す。」をテーマにしています。