民俗学者・畑中章宏さんと考える、妖怪との付き合い方、そこにある小さな物語

天狗や河童など、日本には数多くの伝承が残っています。地震や水害、噴火や雪害といった天災・災害に絶えず見舞われる、日本独特の風土が生み出した物語であり文化だといえます。

伝承や各地に残る遺産を紐解く学問として、民俗学があります。各地に残る妖怪や伝承を紐解いていくと、そこには、地域の共同体がもつ歴史や風俗、そこに暮らす人々の生々しい営みが浮き彫りになってきます。

民俗学研究に取り組む畑中章宏さんとともに、地域に残る風習との向き合い方、そして妖怪との付き合い方から学ぶべきことについてディスカッションしました。

石碑、口碑をもとに読み解く民俗学

民俗学とは、文学をもたない、記録する手段を持たない人が、日常で何を考え、営んできたかを想像する学問やその手法です。著名な民俗学者として、天狗や妖怪などのイメージを確立し、100年前にさまざまな民俗学に関する問いかけを行った柳田国男、日本の民家研究や民具などの調査を行い考現学の先駆けを築いた今和次郎、日本中を訪ねながら土地に息づく民衆の生活を描いた『忘れられた日本人』がある宮本常一などがいます。

民俗学の研究対象に、口碑と石碑があります。石碑とは、石に文字を彫り目に見えるように注意を促したり、物質的な民具から人々の生活ぶりを観察したりすることができます。

例えば岩手県宮古市の姉吉地区は、1896年の明治三陸津波で60人以上が死亡、1933年の昭和三陸津波では100人以上が犠牲と、二度も壊滅的な被害に遭った場所。昭和三陸津波の後、住民の浄財によって「此処より下に家を建てるな」と書かれた石碑が建てられました。そこから時が過ぎ、東日本大震災では漁港から坂を登った場所にある石碑の約70メートル手前まで津波が迫り、海辺にいた住民らは地震後、すぐに坂を駆け上がって自宅に戻り、難を逃れたそうです。他にも民具や家屋などから、そこに暮らす人たちの風俗や風習が研究されてきました。

口碑は、「遠くから白い老人が見えると津波が来るから高台に避難しよう」といった伝承や伝説、昔話などが口伝で今なお語り継がれているものです。

妖怪という公共性

トークでは、妖怪伝承を皮切りに、地域の風俗や風習について対話が行われました。

妖怪として最もポピュラーなものに河童がいます。古くは柳田国男が『遠野物語』で描いた河童淵など、四足歩行のさまざまな河童が各地で描かれています。河童は水を恵み、ときに洪水をもたらす水の神でした。そこには、水害とともに亡くなった人たちの、悔恨や弔いが河童というかたちをとったといわれています。

九州では、馬の足跡ほどの水たまりがあれば河童が1000匹いるという伝承があります。水たまりにひしめく河童から、過去に何度も起きた河川の氾濫とそこで亡くなった多くの人たちをなぞられたと言われています。

「こうした河童伝承の裏には、水の氾濫が日常的にあった当時の様子を想い描くことができます。災害に対して、近代的理性とは違った思考をもとに非合理的な出来事を受け入れようとする考えがそこにはあります」(畑中さん)

他にも、身近な死者に対して「供養絵額」と呼ばれる風習が遠野には残っています。供養絵額は、亡くなった人が生前もっとも充実していた様子を絵にすることで、死後の世界も充実した時間を過ごすことを祈願した絵です。「冥婚」という、若くして結婚せずに亡くなった人があの世で結婚し、夫婦の営みができるように執り行う結婚式などの風習もあります。

「日本各地には、死者にまつわるさまざまな伝承があります。つまり、死者とどのように付き合っていくかが根底にあるんです。災害の様子を描写する人もいますが、あくまで村の村長的な庄屋や学者、研究者が記録したものです。しかし庶民が災害に遭ったとき、死者を弔ったり減災予知をしたりするために妖怪のような物語として伝承していくことで、災害をリアルに、そして伝わりやすくしているのです。人間の経験を写実的ではなく、共同体的経験をもとにした不条理なものとして語り紡いでいく、まさに妖怪の持つ公共性がそこにはあるんです」(畑中さん)

風習の裏側にある小さな物語

庶民生活における生々しい願望や祈願をもとにした風習も残っています。栃木の足利にある生目八幡宮では、「目絵馬」と呼ばれる目が良くなる絵馬が飾られています。蚕養を守るためにネズミを退治する猫を信仰する「猫絵馬」など、庶民の願望を形にする風習が生まれています。そうした様子から、当時の庶民の素朴な思いを読み解くことができます。

かつての日本は、庶民が旅行をすることは少なく、そのため、職人や商人はものを売り買いするだけでなく、一つの娯楽として各地の伝承を脚色しながら語り伝える人として、庶民に愛されていました。こうした妖怪が生まれた背景を読み解くことで、その土地や地域の歴史や風習を理解しやすくなります。こうした各地にある風習を民俗学的視点から研究することで、小さな日本のなかにある多様さを実感することができると畑中さんは話します。

「長野の松本市にある小さな集落で行われている『貧乏神送り』は、無病息災を願う村人たちの風習として今もなお受け継がれています。ある地域では貧乏神送りに馬をモチーフにした籾殻を作りますが、隣の地域は馬からムカデになっていて、同じ風習でも差異があるんです。

他にも、文化財に指定されていない名も無き風習が各地に山ほど存在しています。そこには、国家や歴史といった大きな物語とは違った、共同体それぞれの小さな物語がそこには横たわっています。そうしたものの集合体が民俗学であり、民俗学の面白さなのです」(畑中さん)

妖怪や死者も日本列島の構成員である

昨今、人工知能の発達とともに、人間がテクノロジーとどのように付き合っていくべきかという議論が活発に行われています。畑中さんは、人間の手を離れつつあるテクノロジーとの付き合い方を考えるためには、妖怪との付き合い方を参照したほうがよいと話します。

「人工知能や人工生命といった技術が発達すればするほど、機械は何を考えているんだろうと思い、私たちは機械に対して不気味な気持ちで接するようになってきます。そこにある付き合い方を理知的に考えるよりも、ある種の妖怪的な、制御できないものとして捉えるべきだと思います。

知人のお母さんが円盤型自動掃除ロボットに対して『頑張れ』とか『うちの掃除ロボットが言うことを聞いてくれない』と振る舞っているそうです。こうした例は今に始まったことではなく、かつての全自動洗濯機が登場した時も、昔の人は同じように機械をある種の人間のように、どこか妖怪的な接し方をしていたかもしれません。人工知能や人工生命のような未知のものに対しても、私たちは同じように妖怪的な捉え方として、うまく折り合いをつけながら日々を営もうとする心構えのほうが、より豊かに生きられる気がします」(畑中さん)

妖怪や死者と付き合いながら日々を営んでいく。人間にとって近代的理性では理解できないものに対して不気味がるのではなく、複雑な状況をそのまま受け入れるための想像力が重要であると読み解くことができます。

畑中さんは、日本列島の構成員は生きている人だけではなく、死者や動物、植物、妖怪なども、交渉したり付き合ったりしながらともに生活する共同体の一員であるということを問いかけます。かつての柳田国男も死者や精霊も社会の一員だと訴えていました。それは死者そのものが、私たちの日常の共同体のなかに手応えのあるものとして存在していることを柳田は語っています。

妖怪が生まれた背景にある共同体の小さな物語と、現代まで語り継がれた過去の歴史や遺産があり、それらがあってはじめて現代の生活が築き上げられたという、物語と歴史の積み重ねを読み解くことができます。過去から現代、そして未来へとつながる時間軸において、私たちは今一度原点にある共同体の物語を振り返り、時代を経て向き合うことの大切さを、民俗学から学ぶべきなのかもしれません。

記事・構成:江口晋太朗