「なぜブログを書くのか」という問い

「なぜブログを書くのか」

という質問にぶつかったとき、ついつい「そこにブログがあるからだ」とか「その理由を知るために書いているんです」みたいな気取ったことを言いたくなる。なぜか。簡単には取り出せない気がするからだ。

ふと思いついた言葉を心から取り出して提出してしまうと、どうにも言い表せていない気がしてしまう。だから、空白のシンボルみたいなものを代わりに提出してしまうわけだ。

でもまあ、このタイミングでもう一度それについて考えてみてもいい。そんな気がしている。

で、結論から言ってしまうと、それは単純化できないし、それをしたら歪むということだ。

ブログを書く動機

ブログを書く動機は、ブロガーそれぞれで違う。だから、結果として出てくるブログも違ってくる。

もしブログを書く動機が同じであれば、目指す結果も似たようなものとなり、そこに向かう最適化された手法もまた同じになる。だから、どのブログも似たり寄ったりになる。一時期から爆発的に増えた、ある種のブログ群に拭いきれない金太郎飴感が漂うのはそのためだ。動機を外的に「与える」と、おおむねそのような結果になる。

もし金太郎飴感が漂うことにメリットがあるならば、それは合理的な判断だと言えるだろう。しかし、そうでないのなら、何か危うい道を歩んでいることになる。

しかし、である。

どんな人であれ、最初の一歩は必要だろう。そういうときに、外的に与えられる動機というのも、それほど悪くはない気がする。少なくとも、きっかけ作りにはなってくれる。

複数の指標

自分のことを振り返ろう。

「なんのためにブログを書いているのか」

そこは物書きらしくかっこよく「読者のためです」と言い切りたい。でも、正直に答えれば、私は私の書きたいことを、私の書きたいように書いている。それは揺るぎない事実である。だからといって読者を無視しているかというとそういうわけではない。できるだけ読みやすいように推敲しているし、誤字脱字も減らすように努めている。

もっと言えば、「役に立たないこと」よりは「役に立つこと」を書こうとしているし、またステマみたいなものには近寄らないようにしている。それは、一種の矜恃であり、それは他者を巻き込んだ自己満足とも言える。つまり、ここには複数の指標が混ざり合っている。

私のため、読者のため、社会のため……。

「なんのため」は、単一の要素ではない。さらに言えば、それは単純に還元できるものでもない。複数の要素があり、それらが相互作用を起こして、私の動機付けを生み出している。だから、簡単な言葉では言い表せないのだ。時間がないからと、何か代表的なものを口にすれば、どうしてもそこで歪みが生まれてしまう。

断片と私

「すべては断片でもあり、全体でもある」

情報の扱い方について私が言及した言葉だが、これは認識すべてに及ぶ。

「私」は、私を構成する複数の断片からできている。「分人」の説明を持ってきてもいいし、自分が持つ複数のペルソナを持ってきてもいい。どちらにせよ、私は単一の存在ではない。

でもって、その「私」は、社会を構成する断片でもある。「私」は他者と交流し、他者と相互作用を起こし、全体に影響を与えうる。

どのポイントであっても、それは「私」である。パーソナル&パブリック。それらすべてを含む総体が「私」なのだ。

さいごに

私は私のために記事を書いている。でも、その視点には読者(他者)の意識が混ざり込んでくる。たったこれだけのことで、R-styleにはステマの記事は載らなくなるし、好きな声優さんの話で盛り上がることもなくなる。

だからといってここには「自己犠牲」なるものは一つも含まれていない。そもそもとして私は私のために記事を書いているのだから。単に、指標が複数ある、というだけの話である。

おそらく、ブログをスタートさせたばかりのときは、指標は一つなんだと思う。「お金が欲しい」「モテたい」「自慢したい」「俺の話を聞け〜〜〜」……。でも、続けていくうちに、そこに新しい指標が入ってくる。おそらく、その新しい指標は、前の指標とぶつかることがあるに違いない。片方を伸ばそうとすれば、もう片方を伸ばせなくなるのだ。

そこで、もんもんとした日々が続く。どうすればいいのか。この方向性でいいのだろうか。そうやって考えていくうちに、指標と指標が融合する。それぞれが断片となり、新しい全体の下に位置づけられる。それらは相互作用しながらも、自分の中では一つの指標として機能するようになる。そして、続けるほどにその指標は複雑化していく。

そのような、3D空間での綱引きみたいなことを経て出てくる記事には、やっぱり「個性」としか呼びようのないものが宿ってくるだろう。もちろん、それはある種の「重さ」でもあるからして、良いかどうかはまた別に考える必要があるだろうけれども。

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Originally published at rashita.net on September 1, 2016.

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