「Relight Days」が問いかけた公共へのはみ出し方

2016年3月13日23時59分過ぎ−−それまで点灯し数字をカウントしていた『Counter Void』が消灯し、つい数日前と同じただの「壁」へと戻った。同時に『Counter Void』の再点灯とそれにともなうシンポジウムやワークショップなどを行うRelight Projectの一連の「Relight Days」企画も終了した。消灯から数日が経つ今でも、作品の前に立つとそれまで点灯していた様子がありありと思い浮かび、3日間という短い期間ながら、そこにある「壁」が「作品」として点灯していたということを、自身の記憶と経験を振り返りながら改めて思い起こされる。

これからは「消灯」していた作品ではなく、あえて「点灯しない」日々が続くんだと、消灯した瞬間に感じたことだった。

2003年から2011年まで、それまで「点灯」していることが日常としてそこにあったものが、私たちの日常にも大きな変化を及ぼしたある日を境に作品の日常が塗り替わり、あえて「消灯」することとなる。しかし、その「消灯」に込めた意思も状態が日常化するにつれて、その意思に対する意識は次第に鈍化してくる。これは、人間はある種の忘れる生き物であること、過去に起きた意思を現在視点でしか現象を掴み取らないがゆえに、その意思が不在として捉えてしまうからだ。それ以前を知っているものからしたら「不在」を、現在の様子しか知らないものには「無い」ものとして認識されて続けている状態が長らく続いていた。

だからこそ、今回の3日間という限られた期間での「再点灯」は、その鈍化した意識を取り戻し、かつ5年という時間軸を再認識させながら現在の様子としてそこに浮かび上がらせ、作品の意味が塗り替わる瞬間でもある。


5年ぶりに作品が点灯するこの『Counter Void』は、作者自身の手で点灯させるのではなく、作者の手を離れ有志によって集まった人たちにとって点灯という行方を委ねる、アート作品を市井に譲り渡すプロジェクトでもあった。

1月28日に行われた記者会見の様子

点灯に向けた3日間の「Relight Days」の内容とともにRelight Projectの記者会見が、1月28日に開催された。宮島氏は「今回の再点灯は私1人が決めたことではなく、すべて活動に賛同した有志によってつくられた『Relight Committee』のメンバーたちの調査や話し合いによって決定した。私の意思ではなく、そこに集まった人たちの意思によって決まりながら、アートを通じて社会のあり方を考えるワークショップも企画された」と話す。2015年9月から集まった17名のRelight Committeeたちは、それぞれ、作品の意味やメッセージを受け取りながら、9月から現在まで、点灯に向けてどのような企画ができるかを考え、ワークショップやインスタレーションを作り上げてきた。

点灯式が行われる3月11日、本番。点灯式では、Relight Committeeの木村氏の司会のもと、同じくRelight Committeeの橋本氏による挨拶が行われた。宮島氏は作品の消灯のきっかけとなった東日本大震災への追悼やこれからの復興に向けた願いを語り、その後はRelight Committeeメンバーが作品の前に立ち、点灯のわずかな時間を過ごした。

18時の点灯までしばらくの間沈黙が続いたその瞬間、作品が点灯し、これまでただの壁だったそこに光を灯だし、デジタルを数字をカウントしだした。点灯の瞬間、点灯式に訪れた誰もが驚きとその作品が持つ光に圧倒され、声を押し殺して作品を見出し、その後次第に拍手や歓声が起きはじめた。次第に、作品の点灯が見慣れたものになってくると、誰もが明るい六本木の街の様子のなかで談笑し、笑顔が生まれはじめた。

翌12日。作品はその日も点灯し続けてることを改めて認識した。夜は黒い数字のカウンターだが、昼間は白いカウンターとともに数字を刻み続けている。その作品の前で、Relight Committeeたちによる参加型ワークショップが昼間と夜間の二部構成で行われた。

昼間のプログラムは、「Memento」をテーマに、3つの企画が作られた。一つは、宮沢賢治の『春と修羅』をさまざまな言語でチェロの演奏のもとに朗読する。『春と修羅』は、世界に対する認識とそこに立つ私自身の関係という、自己と世界との結びつきを考えるものと言える。また、数字のカウントと連動しながら音楽家とともに演奏やパレードをするプログラムは、作品と向き合うなかで数字のカウントという普遍性のなかで自己との対話を作り出そうとしたものだった。VRをもとに被災地の今を視覚と音で体験するプログラムは、テクノロジーをもとに作品の消灯のきっかけとなった震災へ思いを馳せながら、空間を超えて体験性を生み出し、私たちがいま「生きる」こと、社会のなかで起きていることを考えさせるものとなった。特に音楽のワークショップは子どもたちをメインとしたことから、子どもから大人までが、数字のカウントと一体となりながら静かに音楽を奏でることで、自己と他者とが同期しつつも、一つのハーモニーを生み出すものであった。

夜のプログラムは「Reflection」をテーマに、4つの企画が作られた。さまざまな人たちが数字をカウントする声を聴診器で聴き取るサウンドインスタレーションでは、聴診器を通じてノイズキャンセリングが起き、ほぼ無音の状態で小さく発せられるカウントと目の前にある『Counter Void』と向き合うことで、録音されている名もなき人日との声と自分の心の声が同化する体験を通して、他者とのつながりを見出そうとするものとなっていた。天体観測を行うプログラムは、六本木という東京の真ん中で夜空を見上げるという行為を通じて、世界と自己とのつながりを見出そうとする行為として読み取れる。夜の『Counter Void』の前に立つとシルエットで人が映しだされる表現を写真で撮影し、またウェブ上に個々人が思う「生」を感じる写真を投稿し、「生」の写真と『Counter Void』前のシルエットによる写真がランダムに表現されるLights&Shadowでは、自らの影とともに「生と死」を思うきっかけをつくっていた。中身が見えない状態で 312種類の本を用意し、来た人たちに本を受け取ってもらう企画は、来場者それぞれが自身の思い思いの数字へのこだわりや考えをもって本を手に取り、ブランクで包まれた本との偶然の出会いを生み出す。

これらの参加型ワークショップは、これまでRelight Committeeのメンバーたちが定期的に集まりながら、作品を引用したりインスパイアしたりしながら、自分たちなりの表現やアクションで企画を練りだした。『Counter Void』というおおもとの作品自体の意味を踏まえながら、ワークショップそれぞれがどれだけ意味をもたせられたのか、どれだけ参加した人たちにそこに込めた意図を理解してもらえたのかは正直なところわからない。今回の一連の企画の中で、そのプログラムの意味性について一人(組)の「アーティスト」と呼ぶべきRelight Committeeのそれぞれが、そのワークショップに込めた考えをどこまで表現できるか、どう表現しようとしたのか、その考えを自分たちなりに咀嚼し、表現していくことが問われてくるものかもしれない。

そこには、「アートとはなにか」をRelight Committeeのメンバーが向き合うことでもある。物質的な作品を作るとは違う、それぞれが『Counter Void』と向き合い、今回のRelight Projectを通して考えた意味をどれだけ問い続けようとしたのか、今後も問い続けようとしているのか。プログラムに込めたディテールや思い、それを参加者にわかる・わからないに限らず、なにかを感じさせる、心をざわっとさせるなにかを提供できていたかどうかをこれから考えていくものかもしれない。そうした意味では、プログラム自体はまだ終わったとはいえず、これからRelight Committeeメンバー自身が自分たちの頭と口で表現をし続けていかなければいけない。


この3日間で、数多くの人が現場に足を運んだ。そこには、消灯以前の様子を知っていて作品の再点灯を懐かしがる人、作品自体は知っていたがはじめて点灯していた作品の様子を見る人、たまたま通りかって、その空間における異質な存在に目を向けた人など、さまざまだった。

印象的だったのは、点灯式後に作品近くを歩いていた中学生か高校生の集団だ。おそらく作品を初めて見たであろう彼らは、はじめはそこに謎の光った壁あることに驚いていたが、次第に巨大な作品が放つエネルギーに引き寄せられるようにして、記念撮影をしていた。作品に込めた思いや意味がわからなくても、あの巨大な光るデジタルの数字を見て、感じたことの経験は、普通に生活していてはなかなか味わえないものであり、普段の生活では目にしない、ある種の「非常識」なモノを前にして、さまざまな感情を沸き立たせるものでもある。

けやき坂に訪れた人の多くが、突然現れた巨大な作品を前にして多くが思い思いにスマホで写真を撮る。この5年で情報環境も一変し、誰もが発信者、撮影者となる時代において、巨大な数字を見せられた私たちは、つい撮りたくなるように眼差しとスマホを向け始める。刻々と姿が変わるその壁は、変化し続ける日常ともリンクし、何度も撮影したくなり、それぞれの思い思いのタイミングでシャッターを切り、そして、ソーシャルメディア上にコメントとともに投稿する。

ソーシャルメディアを通じて一瞬にして広がるデジタルの情報とコピペによって生まれる無限の広がり、ハッシュタグなどを通じて他者の思考を読み取ることで知らない誰かとつながる不思議さ。あらゆるものがデジタル化されることが前提の社会、スマホを通じて個が社会やコミュニティとつながる時代において、こうした巨大な装置があることにおける圧倒的な存在感は、その存在感を感じるために、誰もが現場に訪れ、写真を撮り、そして作品と向き合う。「モノ」として存在するその作品を前に、ネット上の情報として見るだけではない、身体性を帯びたものとして作品と対峙したいと思わせる。「モノ」から「コト」へとシフトしているからこそ、そこにおける体験性の意味が洗練されていく。

デジタルの数字という、インターネット的であり情報化の一つのモチーフでありながら、情報空間にはない現実空間に巨大に表現されるというアナログで巨大な絶対的な存在は、インターネットとリアルの空間、デジタルとアナログの両面を保持しながら、物質的に都市に表出する「公共空間」のあり方を問いかけるものとなる。


東京・六本木という消費の街としての記号を帯びた都市において、消費ではないあり方を模索するプログラムを展開し、そこに集う人たちがそれをきっかけに対話する。消費的な「モノ」ではなく「コト」を重視したプログラムは、これまでの経済的な指標とは違った軸を求めようとする私たちのあり方ともリンクしてくる。

さまざまな人たちの価値観が多様化する時代において、資本や経済だけとは違う考え方が表出しはじめてきた2010年代。インターネットの普及、ソーシャルメディアの浸透によって誰もが発信し、かつあらゆるものが情報として可視化される時代。インターネットというある種の「公共空間」において、あらゆるものが可視化されるいま、消費的なものよりも行為やつながりを意識しだすようになった。モノを買ったりするだけではない行為やつながりにおける重要性、これまでの大量生産、大量消費をしてきた私たちが、モノから日々の暮らしやライフスタイルを重視し、他者との関係や自分らしさを追い求める傾向へと移り始めてきた。それはつまり、これまでの資本主義の基本原理から外れた新たなオルタナティブを模索するものである。

同時に、インターネットのなかだけで完結してきた行為が、次第に現実世界の出来事にも染み出してきた。インターネットでの出来事がきっかけで世論に大きな波紋を呼びデモや市民運動へと発展するケースも増えてきた。インターネットとリアルの境目が融解し、ネットで起きたことがリアルに、そしてリアルで起きている出来事をきっかけにネットで議論が生まれる。

次第に、人々はまちや地域、都市といった現実世界における公共空間でさまざまな行為を行うようになってくる。昨今の都市空間で行われるフラッシュモブやファッションショーも、あえて公共空間に異物や表現を持ち込むことで日常の風景を違ったものとする。そこにある一回性の体験をもとに、個と公共空間との関係を違ったものへと見出そうとする試みでもある。インターネットの普及が新しい表現者を生み出したように、いまや現実空間においてなにかを表現したいと思う人たちが出てくるようになった。

テクノロジーの浸透とともにあらゆる情報が一瞬で共有される時代だからこそ、現実の世界として人やモノが動き出すことのダイナミックさに価値がでてきている。この5年という歳月とともに、誰もが自己のあり方、他者との関係、社会のあり方を考えるようになり、それを切り崩すための場として、誰もが公共空間へと“はみ出し”はじめるようになった。誰もが、公共空間に出たがろうとしはじめている。そこは、個と公共とのあり方において、個の振る舞い方、他者との関係を考える一つの変化と捉えることができる。

今回のRelight Projectは、作品の再点灯が目的ではなく、再点灯も踏まえたそのプロセスや、そこに関わるなかで思考するアートと社会との関係を考える場へと昇華するものでもある。そのなかで、作品をきっかけに六本木というまちなかで行う私的な表現を通じて「公共」との接続点を見出そうとしていたのではないだろうか。作品の再点灯をきっかけに、その「公共性」のあり方を模索した3日間であったといえるかもしれない。