本日の話題はこちら、
という、ロンブー淳さんのツイート。
『やりたい事をやったらいい。そうは言うけどさ…「やりたい事」が見つからないんだよ!』という人は案外多い。
そんな人たちに向けたツイート。それが多くの人によってシェアされた。でも、探していないだけでもないと僕は思うんだ。
見つけたけど、なかった事にしてしまう
多くの人が「やりたい事」を探している。でも、見つからない。
それは本当に見つからないんだろうか?
僕自身の事を省みても感じる事だけれど、本当は見つかってるんだよ。「やりたい事」って。
でも、そっと見て見ぬふりをする。
「こんなの夢みたいな話だよ。」
「こんな歳になって…今更、そんな事が出来るわけがない。」
「頭悪いから、私」
「お金持ちじゃないから、そんな余裕ないよ」
「夢と現実は違うからな…」
そうやって、見て見ぬふりをする。見つけたものを闇へ葬る。
なぜなら、それが「大人」だから。
そして、見つけたものを見なかった事にして、他を探す。
いつまでたっても「やりたい事」ができずに満たされない。そして、再び探し出す。
見つけては闇へ…
闇へ…
無限ループ。
結局、都合が良い
少しでも何かを始めたら、やり続けるか止めるかの二つしかない。でも、それはやらない。
なぜなら、見つからないふりをしている間は「ずっと探し続けている状態」で居られる。
成功や満足がない代わりに、失敗や不名誉もない。泥水をすすって生きていくような状況もやってこない(今はね)。
そして、「やりたい事を探している」という何となく美しいもので居られる。
一つ一つ消していく
この無限ループから抜け出すために何をしたらいいんだろう?
正直、ぼく自身が無限ループにはまり込んでいた。ぐるぐる、ぐるぐる…歩き回ったはずなのに、気づくと同じ地点に戻ってきている。
本人は「やりたい事」をするために「何か」をしているつもりになっていた。けれど、気がつけば元の場所。
ぐるぐる、ぐるぐる…
答えは簡単だった。「終わり」にすればいい。
「やりたい事」が見つかっているのに、手を出さない。見つからないフリをする。そして、探す。結果としてその無限ループに安住してしまう。
そこから抜け出すには…始めて、そして終わりにする。
「やりたい事」があるなら始めてみる。そして、続けられないなら「終わり」にしたらいいだけだ。
そうやって、始めては終わりを迎えるを繰り返していくしかない。一つ一つ「やりたい事」や「夢」を殺していく。
それで終われる事は終わった方が良いし、それでもしがみつきたい事が「やりたい事」なんじゃないだろうか?
しがみつくというより、「やってしまっている事」という感覚が近い。
「やりたい事」が見つからないと言うキミへ。
本当は見つかってるんでしょ?