じいちゃんと僕
僕のじいちゃんが入院しているんですね。19日にはちょっとした手術を受けるらしい。ちょっとした手術って…なんだろ。
大した問題ではないらしいけど、入院。
親父から概要は聞いているのだけど、さっぱり頭に入ってこなくて「入院」「19日にちょっとした手術」という情報のみが頭に残っている。
こんな書き方をしているが、全員が同じ市内に暮らしているので、いつでも話は聞けるし、見舞いにも行ける。
お盆休みの間にも2回ほど見舞いに行った。
僕が33歳。じいちゃんは84歳。確かそんなもんのはず…僕が生まれた時はまだ40代だったと思うんだよね。
とある会社の偉いさんだったじいちゃんは、現役バリバリの働きまくっていた時代に「じいちゃん」になったわけだ。
当然ながら、「じいちゃん」という感覚もなさそうだった。
孫の僕からでも感じるもんな。ばあちゃんなんか、もっと若いから尚更だった。
僕が物心がつき始めた頃に同居を始めた。嫁姑問題は絵に描いたように起こり、僕との間もけっこう微妙な時期があった。
僕が結婚し、二人の息子が生まれた。彼らにとっては初めての「ひ孫」の誕生だった。
そこで初めて気づくことがあったんだ。
僕は孫らしくできてなかったし、祖父母はじいちゃんらしく、ばあちゃんらしくできなかった。
だから、何ってわけじゃない。
ただ、お互いにそう感じていた。そして、それをお互いに口に出していた。思わずなのか何なのか、ポロっとそんな話になったんだよね。
わしらも若かったから、じいさんばあさんらしい事もしてやれんかったなぁ
って。
僕自身としては、
孫らしい事もしてやれてないなぁ。
と感じているわけ。そして、孫らしい事ってことが何かもわからない。もっとわがまま放題に言えばよかったのかな(笑)
僕としては「ひ孫」にあたる息子たちを、じいちゃんばあちゃんに会わせることが出来たことが一つの恩返しのようなものだと思ってはいる。子供を使うなって思わないでもないけど。
でも、「ひ孫」との会話や食事や触れ合う全てのことに対して、とっても幸せそうな表情を浮かべているのを見ると、これ以上に出来ることも思いつかない。
と思っていたのですよ。冒頭に書いた見舞いに行くまでは。
見舞いに行っても、とっても元気そうなじいちゃんを見られるわけだ。でも、入院しなければならない事実もある。元気な本人を目の前にしながら不謹慎ではあるけど、「何がどうなるか?」なんてわからないよなって感じてしまうのです。
今こそ、「孫」の存在を発揮するしかないでしょ。「ひ孫」に負けない「孫」の一手とはなんだろう。自分なりの答えはあるのだけど、照れくさくて進めない。