写真と内容は関係ありません(笑)畑の横の田んぼ。

大人って自由で楽しいな〜って話。

たかしたよーへい
Resonance of words
Published in
3 min readAug 10, 2016

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ちょっとMediumから離れてましたが、なんか書きたくなったから書こうかな。

昨日、友人と食事に行ってきた。

彼との付き合いは3年ほど。まだ、そんなもんなのね。でも、旧知の仲のような時間が流れる。

大人になってから出会う友人の良いところは「意図しない限りは友人にはならない」ということだ。

どこかで出会って、なんとなく会話が弾み、楽しく時間を過ごす。そこから、改めてどこかで会うなり連絡を取るか?という決定権は各々が自由に握っている。

「友達」という関係性に限った話ではない。恋人でも、知人でも、仲間でもなんでもいい。

意図して「次」へ進まない限りは、その場でどれだけ盛り上がったり楽しい時間を過ごしたとしても終わりになる。終わりにすることが出来ると言った方が良いかな。

大人は自由で楽しい

たまに、「子供は自由でいいなぁ!」なんて、知った顔で言う大人がいる。きっと、そういう人たちは今に不自由さを感じているから子供を見てそう感じるんだろう。

でも、本当にそうかな?

子供は自由?

ちょっとそこのオジさん(おばさんでも可)、勝手にそう決め込んでるけど、どう考えても大人の方が自由でしょ?

子供達の自由って本当に少ないと僕は感じる。大人の都合で拘束されてるよ。友人関係、学ぶ場所とか特にね。

何歳から、大人なのか?なんて話はする気がないのでスルーしてくださいね。それぞれ、自分で設定してくれたらいいよ。

大人の不自由さは自分で選んだものに過ぎない

この友人という人間関係を考えてみても、最初に書いた通り自由だ。付き合うも付き合わないも、自分に決定権がある。

もちろん、相手にも決定権がある。

反面、地域や年齢に縛られた関係性はしんどかったな。幼少期、僕は自分が人見知りだったから友人が少なかったのだと思っていたけれど、それも疑わしいなと最近は感じる。

単純に面白い、興味の持てる相手がいなかっただけなんじゃないか?と思うんだ。

そういう意味では僕に興味を持つ人も少なかったけどね。でも、どこかに出ていけるわけでもなかった。

人見知りで、物静かで、友達の少ない男の子。

そういうレッテルを貼られ過ごしていくしかなかった。それはそれで僕は良かったのだろうな。覚えていないけど、友達がいないことで辛かった記憶はない。

話が逸れてきてるな。

単純に大人になってからの友達は付き合いたくて付き合ってるから良いなって話なんだよ。

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たかしたよーへい
Resonance of words

「米と糀」ショップを開設。レコーディングエンジニア。小さく農業してます。発酵/醸造/ロケットストーブ/ウッドガスストーブ。ブログ:https://taka-yohey.com/