そしてぼくは、人間になった

Yuichiro Amano
RISE monday
Published in
4 min readNov 14, 2016

あの日僕が見ていた景色は、真っ白な地面とどこまでも続く暗闇と黒く連なる雲。どこかに光を見出そうと必死に星を探していた。

art by banksy

心の中はいつもバランス感覚のない宇宙にいるような感覚で「僕の居場所はどこにあるんだろう」と常に探し迷走し続けていた。

どこからともなく湧き上がる怯えや恐れ。

生きている意味はあるのだろうか」と自分に問いかける日々。

悲しいことが起こる度、降り積もった雪が雪崩を起こすかのように刃のように降りかかる孤独感。まるで古きものを振るい落とし新たな景色を生み出す為に流れ落ちるかのように。

空に光る星々が暗闇によって引き立つように人の心にも善悪があり、 人生の節々では、重く分厚い積乱雲の様な冷ややかな暗がりにのまれる時もあれば、羊の群れを彷彿させる橙に煌めく雲の連なりに暖かく包みこまれる時もある。

いま見えている星の輝きは何億光年もかけて辿り着き輝いている。辿り着くまでの軌跡には数々の景色があり、散り散りになり闇にのみ込まれた光もあれば、彩り溢れる光を解き放つ時もあっただろう。

たとえいまは暗がりしか見えなくとも、いつしか光は射し込む。

いま現在の社会にはびこる不満や嘆きは、過去に受けた教育が影響しているかもしれない。まるで過去の傷跡に膿がでるかのように世界では過去の歪みと技術の進歩の狭間で巻き起こる変化の連続。

公教育は素晴らしいものだけれど、生き抜くい人もいるのは事実。選択肢の狭まれたモノクロな教育から脱出して個々のオリジナリティという彩りを添えていってもいいのではないだろうか。

個々が持つPC、スマホ、タブレットなどのあらゆるデバイスを活用すれば学校へ行かずとも学ぶことはできる時代だ。

いつでもどこでも学べるUdemy、シリコンバレーの大学Udacity、中学生、高校生のためのプログラミング/ITキャンプスクールLife is Tech、オンライン学習サービスSchoo、無料で学べる大学講座Gaccoなど、他にも様々なサービスやSNSを活用し学びたい人に自らアプローチすることだってできる。

決められた好きでもない科目を学ぶよりも、変化の著しい社会情勢や環境問題などを優先して学んで行くのが先決になっていくだろう。

子どもだから学ばなければいけないといった考えを捨て、大人になっても生涯学び続けることが必須になるだろう。

なぜなら、学びを捨てた人間は変化のある現実を直視せず過去へと巻き戻しを図ろうとするからだ。

国際的評価でほぼ常にトップ10のフィンランドでは、全科目を16歳から20全ての教科を廃止し、2020年までに改革されることが決まった。

https://brightside.me/wonder-curiosities/finland-will-become-the-first-country-in-the-world-to-get-rid-of-all-school-subjects-259910/

日本もすでに文科省に動きがあるように探求型の自ら学ぶ教育にこれからシフトしていくでしょう。一問一答の暗記型学習ではなく、自ら問題を探求し解決していく学び方へと。

その為には、少子高齢化により日本に蔓延する世代間の大きな溝を埋めていかなければいけない。子どもだからとか大人だからどうこうといった決めつけではなく、ひとりの考えを持った人間として向き合っていこう。

安心できる失敗を許容する心の拠り所があることで、思い切って挑戦できる。その拠り所とは、家族や社会である。

なにも多くの事は望まなくていい。生きているという存在を認めてあげるだけでいい。

たったそれだけで枯渇した心に愛情という水を与えることができる。

人はまるで乱立しているようで森の木々の様に根の部分では繋がり、呼応し与え合いこの地球上で共同体として生きている。

お互いの存在を尊重し理解し合い生きていこう。未来の為に。

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