Yuichiro Amano
RISE monday
Published in
4 min readOct 31, 2016

--

「介護」と「葬儀」の未来

両親や祖父母の介護や亡き後を考えた事はあるでしょうか?

via http://chiloux.deviantart.com/art/The-Happy-Man-II-109745882

世界的に見ても日本は先進的な「超高齢化社会」です。

都市部に住む方は分からないと思いますが、地方に住む僕からすると午前中の商店街やスーパーへ行くとすでに過疎化する30年後の街の未来図を想像してしまい恐怖すら感じることがたまにあります。

これまで家族と呼ばれていたものが「シェアリングエコノミー」によりもしかすると代替え可能になるかもしれません。核家族からシェアハウスでの血縁を介さない「共同体」のようなコミュニティに未だ一部ですが変化の兆しがあるようにも感じます。

東北大震災の3.11以降、「血縁」を飛び越え、家族以外にも友達や繋がりを大事にする人が確かに増え「絆」という言葉もよく聞きました。しかし、「絆」という言葉に縛られ苦しい思いをしたかたもいるでしょう。

社会構造の大きな変化に伴い低迷している経済やTVなどのメディアを筆頭に暗いニュースが飛び交い、将来に不安を覚える人もいるでしょう。30代以降の方でも心労を抱え、自ら命を絶つ人も少なくありません。

今はスキルも知識もモノもシェアできる時代です。「所有」という概念に縛られるのはそろそろやめにしませんか?

「これまでに所有していたもの」

  1. 家族観 etc…

「こうあるべきだ」という過去に創られたステータスに縛られると心に重しをつけて人生を歩んでゆくようなもの。

介護でもデバイスを活用すれば安否確認や映像を通したコミュニケーション遠隔診察すら可能な時代です。いずれ煩悩型人工知能の開発が進めば介護ロボットも普及していくでしょう。

個々の人生を歩み離れ離れになった家族もLINEやSkypeで目を見て会話できる。更にこれから技術革新が更に進むVR(ヴァーチャルリアリティ)を活用すれば、あたかも目の前にいて触れてるような感覚でコミュニケーションできる。

葬儀の仕方も昔に比べれバリエーションに富んでいる。Facebookグループを活用したオンライン葬、バイオ技術を活用した想いをモノへと刻み継承するバイオ葬、ミニマムコストの自宅葬など。

介護や葬儀はいつ直面するか分からないからまだ考える必要はないと思う人も多くいるかもしれない。

生きている内にしか心と心は向き合えないし、死んでしまうと肌のぬくもりを感じることもできなければ、想いを伝えたくても伝わらない。

上記に挙げた様なテクノロジーを活用することで心の距離感を縮めることは可能です。

時代の変化についていきたくてもついていけない高齢の方は多くいる。

年長者の教えたい、頼られたいという想いがスマホの普及により代替えされ、それにより満たされなくなった欲求の向かう先は「心の孤独」。

老害と言ってそこで終わりではなく、テクノロジーと共存し、高齢者が時代の変化に適応する為に若手があえて下からそっと支えてあげる優しさを持つとより高齢者と若者の間に産まれたキャズムを少しは乗り越えることができるのではないでしょうか。

「介護と葬儀の未来」という題目で書き綴りましたが、介護や葬儀といった問題に限らず人には言いづらい問題を独りで解決しようと頑張る方も多くいらっしゃるように思います。

その度に自分の頑張りが一方通行に感じて「自分は無能な人間だ」と虚しさを抱え苦しみもがいている人もいるかもしれない。

そんな日々を一生懸命に生きるあなたにこの曲を送ります。

Ms.OOJA- You are Beautiful

--

--