概念?、構築?、ストーリー、・・・ ン?

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僕らの常で、抽象的な言葉を耳にすると、まずこれは「概念」?と立ち止まりがち。分かる?でもね、そこで、その〜、「概念」だから、まず定義しましょ、ってやると、その定義された「概念」に合うコトとかモノしか見なくなる。というか、見えなくなる。じゃない?どうする?

普通に生活している時、色んな話を聞いたり、見たりするね?その都度、アタマの中で何が起こっているのか、って考えてみる。すると、大体、見たコト、聞いたコトを言語化してるね。ね?例えば、ムチャな運転をしているヤツを目にした時、どういう言葉が脳裏をクロスする?あの「バカ」とか「このヤロウ」とか「ムチャをするなぁ」とか、でしょ?「スピード制限40キロのところを60キロで走りながら、しかも交通違反である黄色い車線を超えた蛇行を繰り返す、一見30代前半の男性で、髪は茶髪のように見える」なんてことは少し時間を置いてから初めて脳裏に「記録」されるんじゃない?その場ではこんなこと思い浮かばない。

上の文章をちょっと考えてみると、実は「バカ」とか「ヤロウ」とか「ムチャ」というのが概念(というか概念に近い)なんだよ。そんなあ、と思う?じゃ、試しに「バカ」とか「ヤロウ」とか「ムチャ」ってのを口に出してみ?どう?色んなシーンとか人間とか人間の行動が浮かんでくるでしょう?つまり、この「バカ」とか「ヤロウ」とか「ムチャ」って言葉はそれに対応する様々な、そして複数の「具体例」を思い起こさせてくれるーーつまり、抽象性が高いーー言葉なんです。つまり概念なのっ。

「概念」というのは複数のオブジェクト・状況などに共通する属性をひとまとめにしたモノにつけられる言葉だとしましょう。一応、これぐらいのゆるい定義をしておくと、つかいう安くなる。ただし、これでも素直な目ではなく、共通する「属性」を探す「目」になってるってことは忘れないで。

他の方法で「概念」に触れる、ってのもある。例えば「感情」という概念。どうやって定義する?

ーー大声で泣いている人間が、よく話を聞いてみると、大事なものを失って 自分に思いっきり腹を立てていたらそのうちに情けなくなって、その上友達にバカにされたんで・・・泣いている。という情景。これを概念を一つ使って描くと?揺れ動く「感情」の赴くままに行き詰ってしまった人間・・・なんていえるんじゃない。

つまりポイントは?見たモノ、触れたモノ、耳にしたモノを孤立した状態で捉えるのではなく、それが起こっている文脈の中で捉えてゆこうとするってこと。抽象的な言葉ーーさっきの「感情」ーーを文脈的に定義してゆくことに他ならないんじゃない?さらに言うと、この文脈に見たモノ、触れたモノ、耳にしたモノを語らせているでしょ?これはなんだろう。これがストーリーなんです。かなり乱暴な言い方かもしれないけど、ストーリーというのは「概念」をそれと意識させることなく、文脈的に「構築」して見せるものじゃない?もっというと、何かを喋っている人間は、よほどのことがない限り、意識しないまでも「概念」を駆使しながらストーリーを展開する語り屋なんじゃないですか?

言葉はそれが使われていい筈の文脈から切り離されてしまうと死んじゃうよ。それが使われるとヘンな文脈で使うと、単にカタイ。使われる文脈を意識しない言葉は、浮いてしまって中身空っぽ。

人間はどんな人間であっても概念なしには生きるのがメチャむづかしい存在、つまりホモ・コンセプタムなんです。