ストーリーを始めるスマートな方法(チャールズ・バクスターに学ぶ)

“読者の興味をひくために最初のページでシボレーを燃やしたり誰かを殺したりする必要はない”

チャールズ・バクスターはミネアポリス在住。ミネソタ大学で教えウォーレン·ウィルソン大学でライターのためのMFAプログラムを教えている。

最新作は短編小説集“There’s Something I Want You to Do”。うち2篇「​​Bravery」と「Charity」が最優秀アメリカンショートストーリーに選ばれている。

想像してみよう。そこは歯医者の診察室。若い男性がやってきて治療のための椅子に座る。歯医者が尋ねる「さて、どうされました?」男性が答える「歯を全部抜いて欲しいんだ」。歯医者は彼の歯を調べて言う「それはできません。倫理に反しています。あなたの歯はすべて健康です」。男性は言う「金はある。全部引っこ抜いてくれ」。 これは私の好きなストーリー、1951年に書かれたジョン・コリアーの「もうひとつのアメリカの悲劇」の冒頭部分だ。

私はストーリーを始めるときはいつでも、ミステリー(謎)の要素をその状況の中につくる。私自身と読者が答えを欲しくなるような質問をそこに設定するのだ。

たとえば: “私たちのフットボールチームで最高の選手のジェリーが、ホームゲームの30分試合前にロッカールームに入ってきて、チームを辞めると言う”。 さあ、では、なぜジェリーはやめるのか、何がチームに起きているのだろう?物語はこの時点の一か所で始まり、その後、プロットの主要部分でどこかへと展開していく。そこからどこへいくのか、冒頭からは、いつもわからない。

リチャード·ヒューゴは言う。ストーリーや詩の冒頭部分には、彼が言う「主題の起動もしくはトリガー(引き金)」を使う。それがストーリーを開始し、先にすすめる原因となる。そうして、ストーリーは最終的に真の主題に到達する。 サッカーをやめることを決めたというジェリーのストーリーからストーリーは始まる。だけど、真のストーリーは、たとえば、彼のガールフレンドの話かもしれないし、母親の話かもしれない。あるいは、父の麻薬中毒についてのストーリーかもしれない。

ストーリーは、謎を含んだ、読者に疑問をおこさせる設定(場所)から始めることができる。あるいは、謎めいた主人公や何か知られていないものをもった主人公から始めることもできるし、奇妙な、ミステリアスな、危険を感じさせるような状況から始めることもできる。ソール・ベローはひとつの作品を「はい、私は彼のことを知っていた」という文章から始めた。つまり、それらは単独ではなく重ねあわせて使うこともできるのである。

あなたが簡単にイメージできる家や場所があるとしよう。どうやってそこに小さな謎をつくりだすことができるだろうか。たとえばこんな具合。「通りの端にあるその家は、昼も夜もいつも窓のシェードが降ろされいて、誰もそこに人が出入りするところを見たことがなかった」

人物をトリガー(引き金)とすると、ディテールを語る助けになる。「私の祖母が猫を抱いて部屋に入ってきたとき、みんな語るのをやめた」。 この文章は行動と人物の両方からできている。フラナリー・オコナーはフィクションとは具現化-ディテールに満ちた具体的なもの-であると書いている。トリガー(引き金)となる人物はひとりの顧客であったりもする。「ひとりの夫人が私が働いている青果売場の通路をやってきた。そして彼女はわざとカートをりんごの陳列に突っ込ませた」。

読者の興味をひくために最初のページでシボレーを燃やしたり誰かを殺したりする必要はない.

私達の注意を惹くために、最初の5分間に大きなそしてしばしば暴力的な場面のあるテレビ番組や映画を私たちは始終見ている。それは私達がチンパンジー並みの注意力しかもっていないということを前提にしている。しかし、そういった仕掛けについていくのは難しい。映像文化は暴力を描くことにかけて、文章よりも優れている。派手なバイオレンスは映画にまかせておこう。小さなミステリーからはじめて、大きなものに築き上げていくほうが良い。状況に関するミステリーは、いつでも誰かの注意を引き止めるに十分の大きい。

ストーリーはしばしばキャラクターや設定よりも印象的な状況から始められる。たとえば有毒物質の流出事件だとする。「4時5分に化学工場で警報のサイレンが鳴った」。このオープニングには人物はいっさい含まれていない。それは単に新しい状況、なにかの危険や可能性を示しているだけである。 あるいは、賑やかなパーティを考えてみよう「私のアパートの下で数人の人間が叫び、行き過ぎる車にビール瓶を投げつけていた」。引き金となる状況には、面白そうなトラブルが起きそうな予感が含まれており、誰かが傷ついたり、失ったり、何かを得たりする可能性が刻み込まれている。 でも私たちはどこにそんな面白いトラブルをおいたらいいだろうか?どこでもいいのだ。「あまりの1ドルでジェリーは売店で宝くじを買い、後ろのポケットに突っ込んだ」。

古い民謡は状況から始まることが多い。ブルーリッジマウンテンのブルーグラス民謡もそんな風に始まる。それらはしばしばかなり暴力的だ。 「銀の短剣」と呼ばれるこんなものがある。

ラブソングを歌わないで。私の母を起こしてしまう。
母は私のすぐ横で寝ていて、
彼女の右手には銀の短剣。
母は私はあなたの花嫁にはなれないと言っている

見事なオープニングにすべてが含まれている。主要な人物、3人の人たち、語り手の若い女性、彼女の母、そして母は彼女を守り閉じ込める、窓の外には若い男性、 彼女の恋人になりたくて歌を歌いたいと思っている。葛藤のある状況が描きだされている。ラブソングを歌いたい男、しかし彼女の母は、おそらく気が狂っていて、彼らが何かを試みれば、自分の娘か男か両方を刺そうとしている。そして、もちろん、読み手の私達は、どうなるのか知りたくてたまらなくなる。

もしストーリーが良いものなら、それはその状況を真実でもって説明しなければならず、たんに読み手を驚かしショックを与えるだけではダメだ。トリガー(引き金)は私たちの時間を費やすに値する意味のある行動を起こすものでなければならない。ストーリーがライトのスイッチを点ける。そこにあらわれる美しさと真実こそが、ストーリーがつくりだすものなのである。

This article originally appeared on Biographile.

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Ichiro Wada(和田一郎)
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