「スゴイ」って何なのだろう
スゴイって言われる人って本当に「スゴイ」んだろうかってよく思う。
人間皆(特段何もなければ)おんなじ長さの時間を過ごしているわけだから、その中で「何に時間を費やし、どんなことに労力を費やしたか」ということ(または、それらの時間や経験の結果に現れた成果物)を見て「スゴイ」って評価するのだと思うけれど、実際は大してスゴイわけではないのかもしれないということが結構ある。
例えば、スティーブ・ジョブズって本当に讃えるほどスゴイんだろうかと思ったり(あ、僕はジョブズ大好きです)。
世の中には「ジョブズが残した成果物」と「スティーブ・ジョブズ」しかないのに、そこから「スゴみ」を生み出し、時には崇め奉ったり、はたまた蔑んだりっていうのを周りの人たちが勝手にやっているだけなんだよなあって思うと、なんとなく不思議な気分になります。
そして、(家庭環境とか、自分の思い悩みなんかが原因で)「おんなじ時間」が過ごせていなかったとしても、それが「スゴさ」に到達するのを妨げるわけではないと思う。
そこに「スゴさ」なんてないんだから、何に時間を奪われようと、奪われまいと、何をしていようと、何もしていなくてもどれも一つの「時間軸上で等しい(一生とも言われる)出来事」にすぎないと考えてもいいんじゃないかなあと思う。
と、こんなことを考えていると不思議な気分になると同時に、ぼくは果たしてどこに向かうべきかとつい考えてしまう(答えは決まっていたとしても)。