物事は全て単なる『現象』である

生きていることも単なる現象であり、意味はない。

たこ
Salad
3 min readApr 18, 2017

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「僕たちはなんのために生きてるんだろう」

こんな問いについて何度か考えたことがある人は少なくはないと思います。多くの人が考えるな問いですから、この問いを解決することは重要なはずです。でも、この問いは「難しいね」と言って答えを曖昧にされがちです。

人はなぜ生きているのか。

おそらくこの質問に対する答えはひとつ。

ヒトは地球や自然、生物などの大きなサイクルの中に一時的に存在している「地球や自然、生物」の一部の存在です。ヒトは始めはそれらの一部としての機能をしっかりと果たしていましたが、ある時からヒトはその一部ではなくなったように思います(いや、もしかしたらこれ自体もまだそれらの一部なのかもしれない)。その時ヒトは物事に意味を求めるようになりました。

自然は現象

宇宙や地球の動き、状態、関係性、そして地球や他の星、又は星以外に形作られている生物その他生命体同士の関係やそれ自体、又それら生や死、またはそのサイクルなどを全てまとめてここでは「自然」とします。

ヒトは自然の歴史上のとある時から自然の意味や意義を考え始めます(これは、自然全体の歴史のある一時点にでも、個人の人生という一部の歴史の一時点にでも当てはまります)。アリはなんのために巣を作るのか。ライオンはなぜ肉食動物なのか。地球の公転周期はなぜこうなったのか。重力はなぜ生まれるのか。そして、ヒトはなんのために生きているのか。

でも、それらは元々全て単なる現象であったことを忘れてはいけません。それに勝手にヒトが意義や意味と言った付加価値を後付けしただけで、そもそもそれ自体には意味はないのです。そうでなければ人間が歴史の途中から誕生したことは立証できません。

思い、考えも全て付加価値

これはKinoFumiさんのストーリーです。

原爆、原子爆弾は人類を大量に殺戮する非道徳的武器だと良く言われます。でも原子爆弾という名前は誰がつけ、「それは人を殺戮するものだ」という原子爆弾の意義は誰が考え、付加したのでしょう。それらは全てヒトによって、ただの現象に対して身勝手に行われたことです。

初めて見る光景には、本当に禍々しさを感じる。しかし、同時に不謹慎にも「神々しさ」や「美しさ」すら感じるのはなぜだろうか。小さな太陽が生まれでてくるような感じすらする。もし、本物を見ることがあったら感動すらしてしまうかもしれない。

宇宙の惑星の爆発というのは実に美しく神秘的だと良く言われます。漆黒の闇の中で、赤、青、紫、緑、そしてなんとも言い表せない色が交わり織りなす美しさはなんともいえないものです。でも、あれって核爆発ですよね。

原子爆弾というのは、ヒトが勝手に核分裂を爆発物として利用し、それを殺人に利用しているだけです。でも、その現象自体は宇宙では美しさを持っている。でも、原子爆弾の爆発を美しいとヒトはあまり言わない。しかも、安易に美しいなどというと「非道徳的だ!」とか「被曝者のことを考えろ!」などと叩かれる。なぜなら、それは原子同士の化学反応には「殺戮」という概念が付加されているから。

でも、それっておかしいですよね。だってそれはただの現象であり、私たちはただの現象としてその現象に美しさを感じているだけなのですから。

現象は何も意味を成さないはずなのに。

人間は自然現象の中に自然現象として存在している一部の現象に過ぎないということを忘れてはいけないような気がします。

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