『新しいメディアの教科書』佐々木 俊尚 (著)

書籍紹介コーナー


『新しいメディアの教科書』佐々木 俊尚 (著)

この著書には情報の届け方が今後どうなっていくのか?という点に触れている。従来ならば至極単純だったラジオ、テレビ、新聞などの媒体からユーザーへという流路が確定していたのだが、ウェブメディアをスマホ経由で見るという新しいトレンドが形成されつつある。ここで重要なのは、スマホの限られたコンパクトなサイズで時間を気にせず、外出先のスキマ時間で読めるというユーザー体験そのものの変化である。

つまり、今までの一方通行的なテレビのチャンネルや、新聞の一面に載れば良いという事ではなくなり、ユーザーに本当に読まれているのか?ユーザーに内容が支持されているのか?といったところまで伝え方を深掘りして考えていかなければならない。

一つの成功例としてバズフィードが挙げられている。ここで特徴的なのがSNSを駆使した施策だ。それは、フェイスブック、ツイッター、ユーチューブなどにユーザーが触れている媒体に出向いていき、その中でネイティブ記事広告のシェアを狙うのである。これは分散型メディアと呼ばれ、自社のオウンドメディアにアクセスを集中させてアドセンスをクリックさせるという従来のウェブメディアと全く違う収益構造だ。また、どのSNSにどのようなタイミングでどのような記事をアップしていけばシェアが伸びるのか?シェアボタンのUIやUXまで徹底的に研究され自社のアドテクノロジーとして機能している。

ここで面白いのは、シェアという概念である。私達が思わずシェアしたいと思う記事は、身近な友人にシェアされて更に情報が拡散していく。このように情報の伝わり方が属性の近い人同士の感情に作用しながら口コミのように伝わっていく流れである点が、テレビや新聞との大きな違いである。

では、どのような内容で伝えていくべきか?次にそのヒントが散りばめられている。

ネットでは、多数に向き合うのでもなければ、ひとりの個人と向き合うのでもない。「向き合う」のではなく、横に並んでいるだれかに話しかけるのだ。 加えてネットの文章は、徹底した話し言葉だ。硬派のジャーナリズムの文章は、ネットには馴染まない。
カッコいい第三者的な情景描写から入るのではなく、やわらかい自分の個人的な体験談からするすると始まるというのがブログ文章の特徴である。要するに、落語の「まくら」のようなものだ。軽い話を導入にして読者を惹きつけつつ、だんだん本論に入っていく。そういう「うまく乗せられていく」感じ、当事者的な感じが、ネットの文章には必要なのだ。 「だらだらと読み続けられる」というゆるさも大切。

つまり、面白く読めるよう意図的に工夫されているのだ。 これは、「アテンションミニッツ」と呼ばれ、読者が読んでいて飽きないように注意を引き続ける施策であると同時に、読者の感情の深い部分まで届いていく必要がある。

しかし、まだまだこの伝え方というのは試行錯誤の研究段階である。フィルムカメラが衰退しデジタルカメラ、そしてスマホのカメラに代替されていったように、ユーザーがこれで良いかと新しい変化に乗り換えていくように、この流れもまたどのように変化していくのか分からないのである。

今起こっている大きな変化は、スマホでニュースを消費すること。そしてテレビは見なくていい、新聞も取らなくて良いかと思ってきていることである。そして、フェイスブック、アップル、グーグルがその入り口を抑えつつあるという事実である。それは提携を余儀なくされる大手メディアにとって大きな危機感になっていると同時に小さなメディアは一層、人々の目に触れることが少なく厳しい状況になっていくと言える。これは例えるならば小さなメディアや個人ブログは、コンビニに出すのではなく、路地裏でも人がわざわざ来店してくれるレストランを目指していかなければならないことを意味する。

メディアの役割は客観的事実を私情を交えずに的確に伝えるという側面でもある。今のメディアの感情に訴えかける煽り記事やフェイクニュース、ノイズだらけの状況が良いとは限らない。ただしネットではユーザーに向き合うというよりも、寄り添うというフラットな関係が望まれているのは確かではないだろうか。上から目線ではなく、対等な関係であること。それが、ネットの作法ともよべるべき古き良き習慣なのだ。今私たちには伝統を重んじるマナーが必要なのだ。