はじめの一歩は堂々巡り

最近、とあることについて思考が堂々巡りしている。キャリアとか生き方といった類のこと。答えはないので、結論が出ないまま別の考え事に移って、またふとした時に考え始めるの繰り返し。

堂々めぐりというのは大事だ。堂々めぐりをしているということに気づくためには堂々めぐりする必要がある。あることについて考えはじめのときにはこの感覚はない。

堂々めぐりに気づくには、最低でも2周考える必要がある。実際には2周目では気づかない。結論が出ていないのだから、気づきにくい。

ルービックキューブのようなパズルゲームを、根気強い子が取り組んでも、やり方がわからない限り、3面そろえるのも難しい。いつもパズルをもてあそんでいて、いつも同じようにぐちゃぐちゃなのは、堂々めぐりしているからだ。

しかしルービックキューブが得意になってくると、ぐちゃぐちゃにはパターンがあることに気づく。無限のぐちゃぐちゃパターンがあるわけではない。そのうち「ぐちゃぐちゃ」というものはないことがわかる。全てのパターンは、6面がそろったときと同じように、有意味なパターンなのだ。

遊びだしてからそこに至るまでにはけっこうな道のりがあるけれど、最初の気付きは「自分は堂々めぐりしている」という気付きである。

「ぐちゃぐちゃなどというものはない」という気付きなしに、6面のそろえ方をネットから知って、実際6面そろえることもできるけれど、そうしてしまうとこのパズルの本質的な面白さは理解しにくくなる。