シナプスを広くしてくれるツール

佐々木正悟
Sasaki Shogo
Published in
5 min readDec 12, 2016

最近読んだ『非モテの品格』という本の影響で『モテキ』というコミックを読み進めています。

こういういかにも自分のような主人公が女性著者の手によって書かれるようになったというところに「時代」を感じますが、受動的な男子とか、ちょっと違うような気もするけど「草食系」で自虐系というのは、「最近のはやり」かもしれないけれど、実は昔っからいたはずです。

「そうだ、おれには何かしら嫌なところ、反感を呼ぶようなところがあるんだ」シチェルバツキー家から出てきたリョーヴィンはそんなことを思いながら兄のもとを目指して歩き出した。

「おまけにおれは他人の役に立たない。人々に言わせればプライドが高いそうだ。でも、おれにはプライドなんてない。もしもプライドがあれば、わざわざこんな破目に陥るようなまねはしないだろう」

そこで彼はヴロンスキーを思い浮かべた。幸運で、善良で、賢くて、落ち着いたヴロンスキー──彼ならば今夜のリョーヴィンのような情けない状況とは、おそらくまったく無縁なはずだ。

「そう、彼女は彼を選んで当然だった。当たり前の話で、こちらは誰に対しても何ひとつ文句を言える筋合いではない。おれ自身が悪いんだ。そもそもおれは何の権利があって、彼女がこのおれと人生を共にしようと望むなんて思ったのだろう? いったい何さまのつもりだったんだ? まるっきり誰の役にも立たない、何の値打ちもない人間じゃないか」

(太字は佐々木)

この「リョービン」君と『モテキ』の藤本君は、すぐさまモノローグに浸り出すところから、いかにも女性受けしそうな押し出しとノリのいい男性(リョービン君の場合にはヴロンスキー)と自分を比較しては身もだえし、ある程度は女性に転嫁していい責任(この場合にはキティ)まで勝手に全部背負い込んで「何一つ文句を言える筋合いではない」ことにしてしまうあたりまで、実にそっくりです。

「まるっきり誰の役にも立たない」「何の値打ちもない人間」と自己批判をまくし立てるあたり、どちらの作品にもよく登場します。なにより彼らが「がんばる」のは、「そもそもおれは何の権利があって、彼女がこのおれと人生を共にしようと望むなんて思ったのだろう?」とやりたがるところです。

自覚なく思い上がっているよりは、自覚して卑下している方がマシだ(その方がショックのダメージが少なくてすむから)という自己否定的な人生訓に沿って、何を望もうと、それを望んでないことにしたい。なるべくなら、願望を持つことそのものを消失させたい。

美少女や美人といい仲になろうなどという「思い上がった願望」を持つから、世間の失笑を買うのであって(そういう考え方が「プライドが高い」と指摘されているのだが本人たちはそれを認めません)、「身の程知らず」にも失笑を買うような願望を持ってしまった自分を「罰したい」ということで、例の自虐モノローグが始まります。

『モテキ』読んですぐによぎったのがリョービンのモノローグなのですが、ブログでこうしてすぐ引用して記事にできるのは、ひとえにKindleハイライトをEvernoteにワンクリックで移せるというツールのおかげです。実家に戻って『アンナ・カレーニナ』を見つけ出してとなったら、そんなにしてまでこんな記事は、とても書く気がしなかったでしょう。

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