ライフハック@男子

有り体に言えば、ライフハックに男性も女性もないと思う。

ただ、現実問題として、ビジネス書を買う人は男性に多く、私が学生時代には、「電子手帳」や「PIM」などをいじくり回しているような女子を目にすることはなかった。もっとも、そんな「男子」を目にすることも、きわめて少なかったのだが。

最近私は「男であることからの逃避先としてのライフハック」という課題を、意識していたりする。表向きではないけれど。

いい本に出逢ったのだ。『非モテの品格』という。この本は、タイトル以外は非の打ち所がない、といった書評を目にした。そしてしかし「このタイトルでなければ、手に取ってなかったかもしれない」とも。

すごい本がでてきたと思った。
タイトルだけが残念だと思って読んでいたが、ふと、このタイトルでなかったらこの本を手に取らなかったかもしれないと考えた。

本書は、男性の男性嫌悪という問題に正面から切り込んでいて、私の個人的な事情によるところもあるが大変に考えさせられる。とりあえず、次のような一説を読むだけでも、それなりに「ライフハック」になり得るという気がしてくる。

たとえば、男性による女性への性支配の根っこにもまた、この、恐怖の否認(解離)があるのではないか。(「乖離」ではない点に注意。これは心理学用語:佐々木)。痛みを痛みとして感じることを、そもそも、自分に許せない。男性たちは、経済競争に勝利し、戦争時には兵士として命を懸けることを求められる。「なぜ男性は怖いと言ってはいけないのか?」と、泣き言を言うことは許されない。そのぶん、家庭や恋愛の中で、妻や母親たちに優しく労ってもらおうとする。それが満たされないと、女性に対する感情が爆発してしまう。(p44)

この一節に、ドストエフスキーによる『悪霊』のニコライ・スタヴローギンを否応なく思い出させられた。ニコライは、非常に知的で自分に誠実なので、「愛してもいない」とハッキリ自覚している女性に手紙を出して「自分の看護婦になって欲しい」と小説の最後で告げる。女性はそれに応じる。『悪霊』の主人公でありながら、物語本編の事件とはまったく関わることのできない、きわめて異質なキャラクターで、ドストエフスキーはただ、あのキャラクターの内面を読者に理解してもらいたいばかりに、あの長大な物語を(必要もないのに)わざわざ用意したのだとしか思えないような小説だった。

というくらい、こういう男の内面というのは、人に伝えがたいところがある。しかし「わかってもらいたいものだ」という心理も確かにある。どうしてだろう、というのは私自身にもずっとあって、『非モテの品格』はかなりよくその点について教えてくれる。

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