Macでアプリケーション内ウィンドウ切り替えるショートカットは?
今日のライフハック
全アプリ共通!Macのアプリケーション内ウィンドウ切り替えは「command + F1(FN + F1)」
最初これを知ったときには、正直、こんなのそんなに使うことないなと思っていたのですが、いまではかなりの頻度で使うことが明らかになりました。
編集後記
『イワン・イリイチの死』を読み終えました。
これは岩波文庫でもおなじみの薄手の短編集に収録されているトルストイの作品です。
死ぬときは、1人で死ぬ。他の人は、誰も死なない中で(明日の忘年会のことでも考えているというのに)、自分だけが死ななければならなくなる。
こういう、考えるのも難しい孤独感をこれほどまでにというレベルで描き出してくれるからトルストイ。
昔キーゼヴェッターの論理学でこんな三段論法の例を習った──「カイウスは人間である。人間はいつか死ぬ。したがってカイウスはいつか死ぬ」。彼には生涯この三段論法が、カイウスに関する限り正しいものと思えたのだが、自分に関してはどうしてもそう思えなかった。
人は、と言うか人ほどの頭を持ってしても、やっぱりそうです。誰の身にも起こることがこの上なく自明なことでも、こと、自分の身にそんなにひどいことが起こるとは、ちょっと信じられない。
カイウスが人間であり、人間一般であること──そこには何の問題もない。
だが自分はカイウスではないし、人間一般でもなくて、常に他の人間たちとはぜんぜん違った、特別の存在であった。彼はイワン坊やであり、ママがいて、パパがいて、ミーチャとヴォロージャの兄弟がいて、おもちゃがあって、御者がいて、乳母がいて、それからかわいいカーチャがいて、幼年時代、少年時代、青年時代それぞれに、たくさんのうれしいこと、悲しいこと、喜ばしいことを味わってきたのだ。
いったいカイウスなんてやつに、イワン坊やが大好きだったあの縞々の革ボールのにおいがわかるか?
カイウスはあんなふうにママの手にキスをしたか、そしてママの絹のドレスの襞がシュルシュルいう音を聞いたか?
カイウスは法律学校でピロシキのことで抗議行動を起こしたか?
カイウスはあんな恋をしたか?
いったいカイウスにこれほどうまく法廷の運営ができるか? 「したがってカイウスは間違いなくいつか死ぬし、死ぬのが正しい。しかしこの私、つまりイワン坊やとして、またイワン・イリイチとして、ありとあらゆる感情と思考をもったこの私は、まったく事情が別だ。だって私が死ななくてはならないなんて、ありえないじゃないか。それはあまりにも非道なことだ」
やや重い病気にかかることの多かった子どもには、この孤独「自分だけが死んでいく納得のいかなさ」が少しだけ理解できるかもしれません。
ところで、Macのアプリケーション内ウィンドウ切り替えは「command + F1(FN + F1)」です。