エモい文章を書くための24の視点

Takeshi Nishiyama
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6 min readJan 28, 2017

よく「エモい文章ってどうやったら書けるんですか?」と聞かれるので、僕自身もよくわかってはいないのですが、考えたことを見切り発車で書きなぐってみます。

エモとは追体験

エモ=感情的、時に扇情的な表現。感情を動かすのは、「情報」でなく「追体験」。

身体性のある言葉を

追体験させるには、相手の想像をかき立てることが必要。その場をリアルにイメージさせられる表現を追求する。臨場感のある、視点…というより“目線”が共有される言葉に、身体性は宿る。

固有名詞は匂い立つ

「コーヒー」に身体性はない。「思ったよりも少しぬるかったエメマン」は、想像を刺激する。ブルーボトルの行列を脇目に見ていたりすると、文脈が濃くなる。

個別具体な方がよい

ものすごく個人的なエピソードは、いつだって本人が思っている以上に、他人を惹きつける。

形容詞をかみ砕く

「嬉しい」「楽しい」「美味しい」と書いただけじゃ、残念ながら何も伝わらない。自分の感覚にこそ、言葉を尽くしてみる。何にでも当てはまるテンプレ語彙を使わないよう、細心の注意を払う。

自分にとっての当たり前がコンテンツ

盲点、自分と他人は違う。だから、ケンミンショーは盛り上がるし、ジャパンはミステリアス。自分の、自分たちの当たり前は、他人にとっての十分な驚きになり得る。

コロケーションをねじれさす

意図的に、当たり前をずらしてみる。音を触ってみたり、キッチンに潜ってみたり、カメラで歌ってみたり。

ちょっと飛躍させる

ロジカルな文章に飛躍は禁物。誰にでも同じように理解させる必要があるから。エモにアプローチするなら、読んだ人それぞれ違う感想を持ってもらってよい、その方がよい。だから、詰めすぎない。余白を残して、各自の想像で補ってもらう。「最高の離婚」とか、「永い言い訳」とか。

悩みをぶっちゃげてみる

同じように悩んでいる人は、実は結構多い。自分だけじゃないと、安心感を与えられる。

むりやり解決しない

変に気付きを与えようとしない、答えがなくてもいい。そもそも、他人が断定したメソッドなんてマユツバものだ。出口を求めて思考のアマゾンでさまよっている、その過程を人は面白がるし、時に救われたりする。

愛はむき出す

好きなものについて、ブレーキを踏まずに語っている人は、総じてエモい。中途半端に一般化しない方がいい。

時間の流れを感じさせる

時間の積み重なり、歴史に、人は弱い。一日中降り続いた雨、三日三晩寝ずに考え続けたこと、3年間の片思い、5年間の学校生活で1つだけ後悔したこと、20年間撮り続けた愛妻弁当の写真。

意味深な数字を出す

「1週間」より「8日目」の方が気になる。「300円」より「298円」の方がせこく、人間味が出る。そこに理由があれば、物語になる。意図していない場合でも、読み手が勝手に考えてくれたりする。

童心にかえる

難しい言葉を使わずに、拙くたどたどしく、思いっきりバッサリ表現してみる。トンネルの中、電車の窓ガラスを伝う雨粒を指差して「流れ星!」と言った見知らぬあの子のことが、なぜか今でも忘れられない。

リズムを操る

句読点で息遣いを表現できる。読点を打たずに長く文章を続ければそれは一息にまくし立てるように語っている様子を表現できるし、細かく、一言一言、読点を打てば、慎重に、言葉を選んでいるような、ニュアンスになる。言わば、読点は息継ぎだ。句点はそれよりも長い、間。この2つの点に、意図を持たせる。意図なき句読点は、文章をウザったいものに変えてしまう。

感情が見える行動を、事実として書き並べる

言葉より行動の方が、時に説得力を持つ。その行動を、言葉にして描写する。小説よりも奇なる現実は、下手に色をつけず、淡々と述べるだけでいい。

恥を忍びながら出す

土の中、雲の中、あの子のスカートの中。隠れているものを、人は見たがる。普通なら隠すようなこと、奥ゆかしくチラ見せしてみる。ただし、「常時フルオープン」は効力が弱まる。秘すれば花、秘した花にこそ補正がかかる。

あの人に向かって語りかける

素人がいきなり1万人に刺さる文章を書こうとしても、ムリだ。でも、「あの人に立ち直ってほしい」「あの人に理解させたい」なら、どうにか届くかもしれない。名前を出すわけではなく、ターゲットを「顔のわかる1人」に絞ってみる。1人に確実に刺さるものが書けたら、その1人に似た1000人くらいには、知らずに届くかもしれない。

自分で切り捨てない

結局、価値を評価するのは他人だ。見せない限り、それがエモいのか、永遠にわからない。とりあえず出して、反応を見てみる。1万字でも、140文字でもいいから。

適当でいい

考えすぎない、直感を言葉にしてみる。あとで、適度に補足すればいい。

でも、自分にウソはつかない

本心で書く、これが大前提。職業作家なら別だけど、狙って飾って当てても、多分どこかでしんどくなるし、言葉が続かない。気負わず、楽しく。

わざと、不自由にしてみる

自由は案外、不自由だったりする。制限から思わぬクリエイティビティが目覚める。「今日はイカについて書く」「10分で仕上げてみる」「カタカナ語を1回も使わない」とか、ゲーム的に縛りを設けてみる。17文字・31文字という定形のある俳句や短歌は凄まじい。あの制限の中で、世界を切り出すのだから。その裏には膨大な言葉の取捨選択の過程が存在する。

エモはきっと、気がつけばそこにあるもの

エモに正解はない。だから、エモさなんかこだわらなくてもいい。形のないものを伝えるのはいつも困難だ。どうすれば伝えたいように伝わるか、真摯に悩んで書き重ねていくうちに、きっとエモ――固有の文体、個性は、自ずと滲み出てくる。自分で意図的に創り出そうとするより、人に見出された方が、エモは一層輝く。

深夜のノリです、あんまりアテにしないでくださいね。でも、お通しくらいになったらと。メソッドなんかじゃないです。あくまで足がかりとして。

…あ、あと1個は、貴方に書き足してほしいです。というか、教えてください。

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書くのを楽しめる人、いいもの書いてそれが仕事になる人、増やしたいなって思って始めました。お見知りおきいただけたら。

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Takeshi Nishiyama
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旅は道連れ世は情け、恩は掛け捨て倍返し、残す仕事に身を削る、湯とり世代の創食系。ばっかじゃなかめぐろ、なにゆうてんじ