「宇宙人」と言われた価値観が、いまの私の仕事を作る|ライター佐々木ののかさんインタビュー【受講生課題記事】

※こちらはsentence schoolの受講生が、課題として作成したインタビュー記事です

自分の価値観が認められなかった会社員時代を経て、現在はフリーライターとして数多くの人気記事を生み出している佐々木ののかさん。大好きだった「文章を書くこと」を仕事にしたら、共感や反応を得られるようになり、今では仕事を通して自分の存在価値を見つけられるようになったという佐々木さんに、お話を伺いました。

" ポップな根暗 ”の幼少期

小学生の頃から一人でよく書き物をしていました。「1日に3つポエムを書く」と決めて取り組んだり、作文コンクールに応募したり、夏休みの工作では物語を書いて製本したりしていましたね。

書いている内容は恋愛や冒険もの、生きることや死ぬことなど様々でしたが、自分の書いた物語の中にいると居心地がよく、幸せだったのを覚えています。学校では率先して発言するような快活な子どもではあったんですが、なんというか、ポップな根暗だったんです(笑)。

また、小さい頃から周りの人と分かり合えないことが多く、中学、高校はクラスメイトと打ち解けられませんでした。誰かの噂話や雑談にあまり興味が持てず、そういった話には全く入っていけなかったですね。

無理して話を合わせることもしない。それでいて、自分が疑問に思ったことにはすぐに「なんで?」と投げかけていたので、周りは不思議に思ったのかもしれません。単純にわからないことを教えてほしいだけなのに、先生からは「決まりは決まりだ!」と抑圧されたり、クラスメイトからは「変なやつ」、「不思議ちゃん」と言われたりしてしまうので、モヤモヤした気持ちで家に帰っては、母相手にマシンガンのごとく話し倒していました。

「何か言われたくなかったら、変なことを言わなければいいのに」という母親に、「人はそれぞれ違うのに、どうして私だけ言いたいことも言えないの!」と、ずっと八つ当たりしていました。

ただ、大学に進学すると、思春期に感じていた辛さはなくなりました。帰国子女が多く、文化背景が様々だったので、私が考えていることも「そういう考え方もあるよね」と受け入れてもらえたのが良かったんじゃないかと思います。

理想の社会人生活とのギャップ

大学生活も折り返したころの就職活動では、第一志望だった出版社に内定をいただけたんですが、「書くことで食べていくなんておこがましい」と思ってしまい、辞退してしまいました。文章を書くことが大好きだったので、仕事にして嫌いになってしまうのが怖かったんです。

結局入社したのは某カバンメーカー。「安定した一般企業に入り、誰かとお付き合いを初め、2〜3年同棲した後に結婚」みたいな人生に憧れた結果でした。しかし、そこでまわりの社員さん達に「宇宙人」とまで言われてしまうくらい、お互いに理解しあうことができなかったんです。互いに「未知との遭遇」ですね(笑)。

私は、自社のカバンがメディアになると思っていました。とてもこだわりを持って作っているから、もっとそれを世間に広めたいと。 ただ、私の説明も良くなかったのでしょうが、 周りの人は「メディア?何言ってるの?」と いう感じで、同じ日本語を使っているのに考えが伝わらないような感覚でしたね 。

平日の勤務時間内に、与えられた仕事をしっかりこなすことこそが最重要の環境。個人的に土日を使い市場調査をしても、それは「余計なこと」になってしまう。会社の特性を考えれば当たり前なのですが、 自分の理想と現実のギャップ、周囲との溝は開いていくばかりで辛かったですね。

それでも落ち着きのない私のこと、自分の仕事が誰かの役に立っている実感がほしくて、コワーキングスペースの一角を間借りし、カバンメンテナンスのアドバイスをする「カバン研究所」を一人でやってみました。また、コミュニティFMでカバンをテーマにした番組を企画し、パーソナリティを務めるなど、あらゆる面から仕事への「やりがい」も模索するよう試みていましたね。

しかし、なかなか認められない状況 、“できない自分”と理想とのギャップ に疲れてしまい、とうとう会社に行けなくなってしまったんです。 その後、およそ半年間の休職期間を経て、退職することにしました。

自分の仕事に価値を見出せるようになったフリーランス

会社を辞める決断をしてからも、文章を書く仕事に大きすぎる憧れがあったので、「ライターになりたいな」と思ってはいたものの、職業にしようとは考えていませんでした。北海道の実家に帰ることを決めていたので、お小遣い程度稼げたらいいかなという軽い気持ちで、ライターの仕事を始めました。

家を引き払う時期が決まったくらいに取材の機会をいただき、記事を書いたら読者から反応が返ってきて。それがすごく嬉しくて、次々と仕事を承っていました。

自己肯定感がマイナスだった会社員時代から一転して、自分の仕事に評価が返ってくることが自信につながったんだと思います。いつの間にか元気を取り戻していましたね。結果、実家に帰るのをやめて、今に至ります。

Kekoon「【LINE晒し】金曜夜の新橋サラリーマンに「愛してる」と送らせた」より

私たちライターが書く記事って正直、無くても生きていけるじゃないですか。でも、記事の中にあるストーリーは人を救うことができると思うんです。疲れて仕事が嫌だなぁと思っている時に電車の中で読んだ記事が、どうでもよくて笑ったとか、何気ない瞬間にも人を癒す力があると思っています。

もちろんたまに辛いこともありますよ。最初の頃、書くのが楽しすぎて依頼をたくさん受けてしまったことがありました。取材記事30、調べもの記事30で、月計60本書いたんですね。1か月間3時間睡眠で書き続け、手は震えてくる始末。編集者さんにも絶句されましたね(笑)。

また、記事に対しても良い反応ばかりが返ってくるわけではありません。でも、自分で判断して引き受けた仕事なので、そこで失敗しても納得できるんです。

“愛と殺意の爆発”が、私に記事を作らせる

自分の感情も記事にするようになってから、「共感しました」と言ってくれる人にも出会えるようになりました。私は私の思っていることを理解してほしいし、それに対して相手がどう感じているのかも知りたいんです。

だから、自分の思っていることをさらけ出す、例えば「私も脱ぐから、あなたも安心して見せて」といったように、私が率先して“脱いだ”ことをきっかけにして、他の人が普段はぶつけられない思いを打ち明けてくれると嬉しい。

反対に、他人の意見に批判的な人に対しては、「あなたの中にだってこういう部分があるでしょ、ちゃんと向き合って」と突き付けたくもなります。優しく受け入れたいという気持ちもあれば、厳しく突き付けたいという思いを持って書いている。私の記事を過激な言葉で表すと、「愛と殺意の爆発」ですね(笑)。

もちろん理解されずに傷つくこともあるけれど、そういう時は信頼できる友人に話を聞いてもらう、あるいは自分でとことん考え抜いて、出たアウトプットをまた記事として表現します。するとまた反応が返ってくる。包み隠さず自分の考えをさらけ出して、反応をもらう。その反応に対して精一杯考えて、また返していく。

そうすると、自分の輪郭が見えてくるような気がして、スッキリしてくるんですよね。“表現する”という行為は、私にとって、“自分とは何か”の追求に近いのかもしれません。

“好きなことを仕事に” した結果、見えてきた自分の価値

ライターを続けてきて、自分の中で使命感も生まれました。「私が発信したことが、100万人とは言わなくても、10人でも誰かの心の支えになること」、私はこのために存在しているんだと感じています。

先日、読者の方から便箋10枚にもなる手紙をいただいたんです。手紙の中には「ののかさんの記事を見て元気になりました」といったありがたい言葉がたくさん書かれていました。福岡に住んでいる方からも、「直接お話してみたいです」と会いにきてくださることがあり、そういった方々がいるおかげで、私は今の仕事に、人生に、生きがいを感じることができています。

自分の想いを反映させた記事が、ありがたいことに反響が多いんです。理由はよくわからないんですが、わたしの感性や“むき出し感”って、物珍しいのかもしれないなと。今まで「宇宙人」扱いされてきたこともあった私の価値観ですが、記事として社会に出せば誰かの支えになったり、働きかけたりすることができるんじゃないかと感じています。「自分の好きなことを仕事にした」結果が、誰かの需要に一致しているなんて、こんなに幸せなことはないです。

これからもライターという職を通して、微力ながら誰かの役に立てたら嬉しいし、将来的には表現活動の幅を広げて、楽しく生きていけたらいいなと思っています。

【佐々木ののかさんのブログ(note)はこちら】
https://note.mu/sasakinonoka

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