人間らしさの気づき
私は本授業にて中心的に行った取り組みは、最終制作のための議論である。最終制作ではStableDiffusionのような自動画像生成が日常化された未来の世界を妄想し、その世界で発生しうるデータセットプラットフォーム「ANBIRI」のwebサイト制作、および記憶の曖昧さを問うフォトアルバムの制作を行った。制作を進めていく中で私はチームメンバーと議論し構想を練る段階に比較的多く携わった。私が本取り組みにおいて気づいた点は大きく分けて2点ある。
私が今回得た気づきの中で、最も印象に残った気づきは人間のバイアスの存在である。ハンス・ロスリング著の「FACTFULLNESS」を筆頭に、人間のバイアスに関する問題は近年多く語られる内容だが、今回私が得た気づきは本などでは得られない貴重なものであった。今回制作を行うにあたり、私のチームはANBIRIの制作を行うため簡単なフィールドワークを行った。ANBIRIは、現在のGoogleに変わる新しい未来の画像検索プラットフォームという設定であるため、必要となる写真(データセット)の条件は「現在のStable Diffusionや検索にて出力されなそうな画像」かつ「画像検索において需要がありそうな画像」ということになる。私たちは「標識に抱きつく人」であったり「階段から転げ落ちる人」など、この世のあらゆる検索に引っかからなそうな写真を撮影した。私がこのフィールドワークを行って気づいた点は、「撮影が非常に難しい」ということである。私たちは実際に撮影したデータをStableDIffusionや検索にかけたが、画像検索において需要がなさそうな画像ほど綺麗な出力はされなかった。つまり、「検索」の心臓である元の画像データは結局のところ人間が作っており、「検索」は過去の人間が需要のあると考えたもののみを出力するという当たり前ながらも気づけなかった部分に、今回私は肌感覚で気づくことができた。今回の私の気づきである「機械に抗うことというのは、同時に人間に抗うことを意味する」ということは、AIの創造性は結局のところ人間に依存するという発見でもあった。
二つ目に私が得た気づきは、AIがアート与える影響は長期的な視点においては小さいのではないかという点である。最近はAIが一般化されたことから、AIそのものに対する自己言及的なアートが勃発的に登場し始めた時期であるが、大きな時代の流れで見れば、アートの領域においてAIはたいした影響はないのではないかということである。大きな時代の流れで人々の意識の変化が訪れることは普通のことであり、それはAIが出る前も出る後も同じである。機械化により人間の活動領域が狭まっている中で、人間の活動領域の認識のためにアートが流行する可能性は否定できないが、それはアートそのものに影響が及ぼされているわけではない。今回の制作を通して私は人の創造性について考え、議論したが、その偉大さはアルゴリズムでは到底再現し得ないものであることを再認識した。
ANBIRIリンク:https://unbelievable.studio.site/