2022_メディアアート実践_中間課題

Miho Takahashi
SFC Media Art 2022
Published in
Dec 22, 2022

【AI技術によって人の創作活動を模倣する意義/危険性】

・高速性と人間を補助する役割を持つ

AI技術による創作活動は、人間が手を使うよりも圧倒的に高速でありながら、生身の人間と異なり求められた結果に対して忠実である。したがって、例えば膨大なデータを効率的に分析してそれらを処理することで創作する分野において、AIはより完璧に近い「模倣」が可能だと言える。また、AIによる人間の創作活動の模倣・再現によって人間が、人間にしか出来ないことが何なのか、または人間にできない(不得意である)ことが何なのかを明らかにしたり、それらを思考する機会を得ることができる。つまり、AIによる創作活動の意義はそれ単体としてではなく、人間とのコラボレーションによって初めてみられる、これまでの人間の創作の再考と理解や、逸脱性を持つ点にある。

・与えられたデータの偏りから現代社会を客観視できる

AIが学習したデータは人間の固定観念そのものであり、そのデータによって創作されたものがさらに差別や偏見を広めてしまうのではないかという議論が存在する。しかしながら、そういった固定観念を再認識する機会を得られることや、人間のこれまでの創作活動の理解が可能となるという見方をすれば、意義として捉えることができる。これらについては、単に学習データの平均から求められている結果を忠実に求めるAIが、人間の創作活動を本当に超える何かを生み出すことが可能になった場合に、さらに議論できる部分だと考える。

・創作活動が容易になることで人間が失うもの

先に述べたようにAIは人間よりも効率的で高速な創作を可能とする。それらがまだ誰も見たことのない全く新しいものであるかどうかは関係なく、人間の創作意欲や活動を阻害する危険性が少なからず存在する。

固定観念の表面化について触れたが、こうした事実を受けて人間が学習させるデータを規制したり、生成するものについて制限をかける恐れがある。効果的な側面として人間が固定観念について再考し、より理想的な多様社会を目指すことができるとも推測できる。しかし一方で、規制や制限によって表現がさらに偏りを持ってしまう危険性もある。これによって人間が現在社会のステレオタイプや偏見から抜け出せなくなってしまったり、次の世代がそうした事柄を当たり前であることとして認識してしまう可能性がある。

【Stable diffusionのようなAI画像生成技術が人の創造性、アートに与える影響】

かつてコンピュータが文章や写真、音楽などそれまで人の手によってのみ作られてきた分野を横断してデジタル上で創作可能になったように、インターネットはテレビやラジオ、新聞などを融合して現代社会が形作られてきた。こうした営みにおいては、少なからず人間の手を離れて機械に代わったものも存在するだろう。しかし、方法が多様になっただけで人の手による創作活動は変わらず存在し、常に新しい価値を創造してきた。

こうした過去を踏まえ、AI技術の発展にも同じようなことが言えるのではないかと私は考える。事実、0の状態から1を生み出す行為そのものがAIも可能となったことにより、AIを単に人が使うツールとして認識することは難しいかもしれない。しかし、画像生成においては「この世に存在しないもの」あるいは「この世に存在しないであろうもの」の生成は現時点で特に難しいことが明らかである。また、言葉によって画像を生成するという機構そのものが、表現するために言語化しなくてはならない壁を設けており、言葉にできない事柄や事象を表現する結果がアートであると定義するならば、画像生成AIは絶対に人間の創作を超えることは不可能であると考えられる。つまり、AI画像生成技術は人の言語化できない部分をなんらかの手段で理解・分析・生成しなければ、コンピュータと同じように人にとってはツールでしかないということである。

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