SFC Media Art 2022

risa kashiwagi
SFC Media Art 2022
Published in
Dec 15, 2022

• AI技術によって人の創作活動を模倣する意義/危険性

客観的に観た芸術鑑賞の点からすると意味はないのかとも思う。勿論、AIが人間の創作活動を模倣することで人が”創作”という営みに対して再度考えさせられるきっかけにはなる。しかし、例えば作者が伏せられた状態で芸術を鑑賞した時、鑑賞者はこれはAIが作成したものだと気がつくだろうか。少なくともこの授業を履修する前の私は気が付かずに「この絵にはどんな背景があるのだろう。」と絵を前に想像を膨らませていたかもしれない。

芸術に詳しい人は別として、高校の遠足など外的要因で芸術に触れる鑑賞者は自身の想像力で作者の意図や背景を補填するため、そこに作者がAIか人間かは関係ないのかもしれないと思ったりもする。

でも、作者の立場に立つとAIの模倣作品から得られること、そこに感じる恐怖は変わってくる。”つくる”という行為は人の生活とは切り離せない営みであり、そこから生まれる様々な背景が作品を創り出す。しかし、これがAIに模倣され、AIの作品と人間の作品とが一列に並んで鑑賞者の目に触れた時、作者が芸術というものの根源を疑ってしまうようになるのではないかと危惧する。

  • Stable DiffusionのようなAI画像生成技術が人の創造性、アートに与える影響

この授業でStable Diffusion (以下SD) はインターネット上に存在する既存の画像データを元に画像を生成していると知った。つまり、現代のマジョリティーであるインターネットを利用する人々の中にある画像意識が反映されているといえる。実際にグループワークでSDを用いてミロのビーナスの画像生成を試みた際、どんなにキーワードを工夫しても、像の下半身は男性となり、手足もしっかりと存在しているものばかりだった。全裸の像は男性のものが多く、手足も強靭であるという固定的な一般概念が裏にあるように感じた。他のグループの共有を聞いていても同じだった。SDは「お金持ち」「インテリ」「美味しい」などのキーワードを入れると、スーツを着てネクタイを締めた白人男性、メガネをかけた白人、豪華な皿に盛られたお肉など、インターネットを利用する人のマジョリティーの人々が考えるイメージが生成される。

この事象を目の当たりにして、SDは、現代社会に生きる人々が普段口には出さない偏見や固定概念を悪気なくただ直球的に表すものに感じた。人々はSDを通して、多様性を理解しようと意識しつつも、今尚私達の脳裏に染み付いている固定概念を突きつけられる。これにより人の創造性はより概念に囚われないものになっていくと考える。私は、生成したい画像を言語を工夫してSDで繰り返し試行していた時、どんなに適切な表現をしても一般化のフィルターをかけた瞬間にまた同じ表現に統一されていく、狭さを感じ居心地が悪かった。

この経験と通して人は無意識のうちにそれぞれの中に存在している一般化しようとするフィルターに気が付き、より制限のない自由な創造性を手に入れると思う。

71941927 柏木梨佐

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