ベル研究所の「天才たちを働かせる」組織論と衰退の理由

shinozw
Shinozawa’s Good Read
5 min readDec 13, 2015

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1920年代からアイデア工場として栄華を極め、1984年に分割された悲劇の研究所を支えた組織づくりの考え方

本を読んで知ったが、ベル研究所はものすごい研究所だった。1920年代から1980年代の60年間にも渡って、世界の技術を支配してきた。間に戦争を挟んで、主に通信技術分野で全世界をリードする「アイデア工場」と言われてきた。世が世なら「知識製造工場」と呼んでいたかもしれない

イケイケの時代を築くに至った話は第9章「天才たちを働かせる方法」で解説される。それによれば、成功の秘訣の一端は組織論にあった。所長のマービン・ケリーの持論は「異分野たちの専門家を同じ場所で働かせてアイデアを交換させること」。また、所内での教育そしてお金もプラスに作用してきた。

人材交流を促す

オフィスのレイアウトに至るまで、交流を促す思想が行き届いていたらしい。盛んだったことを示すエピソードとしては次のようなものがある。

  1. ケリーはベル研究所を<生命体>に似ていると語っていた(プロジェクトの基礎ー応用の受け渡しはあんまり厳格なルール下で行われずカオスだったらしい)
  2. 基礎研究者と応用技術に取り組む技術者がさかんに会話を交わしていることを奨励した(事務フロアを別にして、長い廊下を歩かせたりして偶然パッと顔を合わせる機会を設けたりしたらしい。Appleのオフィスは中央にトイレがあるという噂と似てる)
  3. 「本を書いた人間に聞け」ということがよく言われていた。(実際、教科書を書くレベルの伝説の研究者が所在していた)
  4. 「物理的に近くにいること」をとにかく重要視

こうすることで、優秀な人材の量が「臨界質量(クリティカル・マス)」に到達し、破壊的なアイデアにたどり着ける。

「人」を管理しない。アイデアを管理する

割と人間的には破天荒なピアースがマネジメント職にいたが、問題ないとされる理由がこれだ。「ピアースは人の管理能力はないけど何が問題なの?」ということらしい。

ベル研究所はアイデアを管理する。人材管理とはまったく違う。だからベル研究所の人材管理手法はおかしいという批判は的外れだ。ピアースが傍若無人でも、アイデアの管理において問題があったかどうかが問われる

いったい今もそんな管理体系ができるか?と言われればGithubのコントリビューション評価とかは実際そんな感じのように思う。リモートワークとかホラクラシー理論もこれをサポートしているように感じる。

「ニーズ」をとらえるよう工夫する

研究所の目標の掲げ方にもマービン・ケリーは心を配っていた。本の中で気になったエピソードは「イノベーション」をどう定義したか、についての一行だ。

イノベーションで本当に重要なのは技術そのものではない。その技術に何ができるか、だ。「機能が優れているか、安いか、もしくはその両方」というケリーのルールは、イノベーションの目的を表現する1つの方法といえる。

技術や、その時できることで自分たちのやることを規程しない、というのは大事な発想だと思う。指示の出し方にまで徹底していたらしい。

また、僕から見ると「どうせAT&Tの通信技術に使われるんだろ」と自明すぎる出口があるように思うが、中の人たちとしては「天才性を損なうどころか、焦点をあたえ、イノベーションを促す」状況だったらしい。

(まだわかっていないこと)を中心に考えるよう指示する

ケリーは指示の与え方に特徴があった。(すでにわかっていること)をプロジェクトの出発点にしようとはしなかった。(まだわかっていないこと)を中心にプロジェクトを組み立てようとした。それは困難で、直感に反するやり方だったとピアースは説明している。少なくとも軍事産業では、技術的に可能なところから出発し、足りない部分をあとで埋めるというアプローチのほうが一般的だ。

わかる。たぶんマーケット・インですらなくて、もっともっと困難な挑戦を伴うようにプロジェクト全体をあつらえていくにはこういうやり方でないとダメだと思う。わかっていることを出発点にすると目標が近視眼的になりやすい。

そして、衰退の理由

こうして栄華を誇ったが、1984年に独占禁止法への抵触から研究所を分割されてしまう。

衰退したときの弱さは次のようなものだった

  • 競争能力が欠如ー長い間独占事業しか営んでいないため、「何かを売らないといけない状況」で他社劣後した。マーケティング能力がない
  • 競争能力が欠如ー3–4年スパンの実用化が求められる、陳腐化の早い産業に身をおくことになった
  • 「無くてはならない」からの脱落 自身の発明が浸透していった結果、無くてはならないポジションではなくなった
  • 使命があいまいになった
  • 力を注ぐ対象が狭くなった 自由な研究に対する合理性も必要性もなくなった

前述のポイントに照らすと照らすと(その1)基礎研究と応用技術の人材交流も盛り上がらなくなり、(その2)ニーズをどう捉えても陳腐化が早く間に合わない、(その3)自身の保有する技術が大きすぎて何がわかっていないことか曖昧になった、ということらしい。

しかし、60年も栄華を誇ったのだから、トム・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』の基準でいえば十分にビジョナリー・カンパニーだったと思う。もう80年分、延命できるとすればどうしたら良かったのだろうか。

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