伊丹敬之「場の論理とマネジメント」感想

shinozw
Shinozawa’s Good Read
3 min readMar 21, 2018

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2005年刊行の本だが、12年以上経って、似たような内容の本が流行っていると感じた。2018年現在、『ティール』や『ホラクラシー』といった組織論が流行りつつあるなか、実質、同じことが書いてある日本発の先行文献だ。

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本書の定義によれば、

「場」とは、人々がそこに参加し、意識・無意識のうちに相互に観察し、コミュニケーションを行い、相互に理解し、相互に働きかけ合い、相互に心理的刺激をする、その状況の枠組みのことである。

とあり、従来なかなか見えてこなかった経営の重要な変数だ、としている。上場企業のアニュアルレポートには組織図こそ出てくるが、「場」についての記載や考察は少なく、同じような組織図の会社でも千差万別になるのは「場」が機能しているかどうか、だと論じている。そして、何より、組織は生命体のようなもので、人間どうしの生々しいやりとりで感情と情報がセットで流通してこそ、いろんなものごとが起きるという哲学には共感した。
本書ではメールやクラウドといったコモディティ化したITツールすら論考に入っておらず、VR空間で集ったらどうか、といったトピックは対象外、読者が勝手に考察するための土台をくれるのみだ。よって、リモートワーク、テレワークでも伊丹が論ずる「場」を機能させられるか、どうかなど21世紀の働き方をつくるには自分で考えるしかないな、と思わされた。

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マネジメントとは「管理すること」ではない。人々の間の情報と心理の相互刺激の舞台づくりをすること、なのである。その舞台を、この本では「場」という概念で呼ぼうとする。

仕事の現場に三つのもの(カネ、情報、感情)が自然に流れるという事実は、こう考えてみると自明のこと

しかし、

仕事の現場の現象から抽象をして理論的分析をしようとすると、ついつい、目につきやすいカネの流れと命令の流れに注意が向いてしまう

組織構造とは、組織の中の分業と調整の体系であり、権限と報告の関係の体系のこと

組織の中の人間

人々の選択は「半自律的」なのである。完全に自律的でもない、しかし完全に他律的でもない、という意味での「半自律的」

私はこの本で、組織の中の人間をつぎのように特徴づけて議論を展開しようと思っている。 「組織の中の人間は、自分の行動を自分の利益のために選択する自律性をもつ一方で、周囲の人々との関係の中で協力的に全体をも考えた行動もできる

この本では、「組織を経営する」ということは情報的相互作用(とそこから派生する心理的相互作用)というヨコの相互作用のプロセスを経営していることだと見てみようとしている。その見方が、どのような経営のあり方が適切なのかを考える際の、人間観と並ぶもう一つのこの本の基本になっている

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放て心に刻んだ夢を未来さえ置き去りにして