インタフェースの違い
すみません。これはショートショートではありません。
えと、こちらで書いたものを「小説家になろう」にても公開しています。ちょっと手を入れたりとか。「進化の渦の中で」のシリーズも、手を入れたり、並べ替えたりして順次公開予定です。「98年め」を最後に持ってきたりとか。いっぺんに公開したほうがいいのかちょっと悩んでます。
んと、こちらからどうぞ。サイトは「小説を読もう」になってますが。「小説家になろう」の関連サイトです。
で、まぁその宣伝でもあるわけですけど。その他にもちょっと思ったことがあります。
Mediumのnoteの機能、便利ですよね。普通のハイパーテキストも。「なろう」だと、当然(?)そういう機能がありません。個人的には、脚注があったりとかハイパーテキスト的なのとか、そういう文書しかずっと書いていなかったようなものなので、ある意味、カルチャーショックがあります。普通に文章を書くのって、とても制限が強いものなのだと改めて感じています。まぁ高校のころとかいう大昔にはそういう文章を書いていたわけですけど。もうその感覚を忘れています。あ、「なろう」のインタフェースがどうのこうのという話ではなくて、媒体のイメージとでも言えばいいのでしょうか?
小説家を目指しているわけではなくて、そういう違いがあるだろうと思って、その違いを体感してみようとちょい手をだしてみました。「0.01radくらい」みたいなのはムリだろうなと思いつつ、やっぱりムリだと実感できました(noteを活用するのを試してみたものです)。
銀河系において0.00000262rad前に、第12次調査隊がここで人為的電波の発信を確認した。途中、我々第13次調査隊も「最後のフロンティア」という放送も確認した。可能性を信じたい。 ¶
非古典物理航行を用い、迷彩機能を働かせたまま…medium.com
もちろん、あちらはあちらで便利な機能はあります。
でずが、インタフェースというか媒体のイメージというか、なにかそういうものが「どう書くか」、「何を書くか」の着想の段階から影響を与えるということが確認できました。大昔の作家や編集者は苦労していたんだなぁとか。(La)TeXはやっぱり偉大だなぁとか。もうmediumも含めて、そういうのに慣れてしまうと、紙媒体がデフォルトのメディア、あるいはそれが基本のイメージというのは実はとても強い制約なのだと思ったり、紙媒体だとしてもマクロはともかくとして(La)TeXくらいの機能はねぇと思ったり。
そんなことを考えていると、電子書籍らしい内容とか書き方というのはどういうものなのだろうとも思えます。紙媒体でも脚注やリファレンスとかあるのですが、もっと電子書籍らしい書き方のようなものがあるんじゃないかとも思えます。世の中としてはまだしばらく模索されるのかなと思いました。