気仙沼視察2019
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7月5〜6日に気仙沼で開催された気仙沼まちバルの視察ツアーに参加してきました。
仙台から気仙沼までは、バスが一番早い(2時間ぐらい)ということでしたが震災の姿を目に焼き付けておこうとローカル線をたどっていきます。
仙台→小牛田→前谷地→柳津までは鉄道。(震災後津波の被害もそれほどなくすぐに復旧した区間です。)
柳津からは、BRTという元鉄道の専用路線を走るバスになります。といってもところどころ未だ普及中なので一般道と行ったり来たりしながら走ります。
柳津からの乗車客は5人程度で路線バス1台。ずいぶん過疎化していると思ったのですが、途中の南三陸町辺りから地元の高校生が集団で乗ってはおりての繰り返しになります。車社会となっているこの地域ではありますが、学生の貴重な足となっていました。
途中映像でよく見た南三陸町の防災庁舎を横目に見たり、海が見えないくらいの高さの防潮堤防を遠目で見たりしながらバスは北上します。印象的だったのは国道の途中途中に示す津波の浸水域を示す看板。浸水域は更地となっていて高台には古い建物と移住した人々の新しい住宅地。津波の被害の大きさを感じます。
仙台から約3時間で宿のある陸前橋上(りくぜんはしがみ)へ到着しました。
陸前橋上の駅も鉄道時代の名残が残っています。
三陸の海を眺めながらのバス移動を想像していたのですが、ほとんど海は見えず津波の被災の姿と復興しつつある街に暮らす高校生たちの姿が印象的でした。考えたらこの高校生たちが被災したのが幼稚園から小学校へ入るくらいの頃。一生忘れるこはないでしょうね。
1泊目の宿は、気仙沼のボランティアの若者が立ち上げたNPOが運営するゲストハウス架け橋。ここで気仙沼移住者の視点での話を聞くことができました。今、ここでは地元の子育て世代のおかぁさんのための交流や働き場の提供という取り組みにもチャレンジしているそうです。
ゲストハウスの中には絵本がたくさん置いてあり、翌日は朝早くから子供のためのイベントがあるということでした。また、同じ日に宿泊していた方の中には、気仙沼を気に入って毎月通っている方や、大学のボランディアに参加して20回以上通っていたが週よくが決まったのでそのご報告に気仙沼で出会った方々を訪ねている大学生なども来ていました。
2日目は、まず、最近公開となった気仙沼東日本大震災遺構・伝承館へ
こちらは、津波に建物が大きな被害を受けた向陽高校を震災遺構としたもので、津波の恐ろしさを知ることができます。ちなみに、この高校で被害にあったのは2名(しかも下校していた)だけで多くの生徒は自力で高台へ逃げられたそうです。というのも、津波が来るまでに1時間の時間があり高校生たちにとっては避難するのに充分時間があったらだそうです。逆に被害に遭われ方の中には老人の方や家に置いてきたものが気になり取りに戻ってしまった方が多かったそうです。
三陸地方では昔から津波が繰り返されていることを初めて私が知ったのは実は97年にノルウェーへ行った時のことでした。現地のテレビで「Tsunami」という特集を組んでいて、その番組の内容が日本の三陸地方で繰り返し発生した地震と津波の話で、その中で三陸地方の人々はこれを教訓にしていると放送していました。その様な歴史があってもいざ起こるとやはり被害は出てしまうという恐ろしさを感じます。(歴史を調べてみると、定期的に津波は発生していて、1933年は28.7mで約3000名、1896年も38.2mで約22000名の死者・行方不明者を出している)
その後は気仙沼の水産加工業者様の工場を2者見学させていただきました。
まずは、気仙沼の港そばにある足利本店様
震災時も被災し一時は従業員の生活を考え解雇したけど、その数年後に再開する時には4割の方が戻ってきてくれたそうです。今では若者を積極的に採用していて他地域から就職する方もいるそうです。特に特徴的だったのはHACCAP認定されている工場。見学のために入る時も衛生面のレベルが高くエアシャワーから殺菌までしっかりとされていました。また、港から購入してきた魚が次々と運ばれ、従業員の手で食品用に捌かれていくながれを滞りなくテキパキと進められているのが特徴的でした。また、BtoBだけでなくBtoCでは「素材屋」という直販サイトも運営しているのでもしよろしければ試してみてください。
次は、山の奥に工場を移転されたヨシエイ加工株式会社様
こちらは、気仙沼の港から内陸へ車で15分ほどの山の中。まさかこんな所にという場所に二棟の工場がありました。(震災は前は港の近くにあったそうです。)気仙沼名産のフカヒレを加工しているのがヨシエイ加工様。工場の中では仕入れてきたサメのヒレを解体しその皮を剥ぎ具所までは全て手作業で行なっています。
工場の中では何十人もの人がそれぞれの持ちがで手際よく作業をしていました。この工場の特徴としてはほぼ手生産であること。設備は乾燥用の機械と真空パック用の機械のみで、最上品は乾燥も工場の外で自然に行なっているとか。今では自然乾燥を行う工場が減りいずれは消えゆく運命ということでした。
そして、気仙沼街バルです。このバルは震災復興支援の一環として企業内診断士が一丸となって提案したのが始まりで、この経緯をいつもお世話になっている診断士の川居さんからレクチャーしていただきました。(そもそものきっかけが川居さんとのこと)被災した地域の中で気仙沼がたちは一番異なるのは、当初は競合同士だった商店街を結びつけ一緒に街を盛り上げるために「街バル」の提案を提案しそれが7年以上にわたり続いているという事です。それもあり今でも診断士が直接、街の復興に携わっていることは正直すごいことだと感じています。
気仙沼バルの一部をご紹介します。
震災直後にできた屋台村が今度リニューアルする「みしおね横丁」がプレオープンでまちバルへ参加。青空のもと早くもバル開始です。
一気に駅前へ移動して「晩酌屋でん吉」。店の前でバルの法被を着て呼び込みしていたのも診断士の先生でした。
紫神社前商店街では普段入ることがなかなかできない、割烹世界。こういういうお店も参加してくれるのがバルのいいところですね。
この気仙沼は復興から次の段階に移りつつあります。今回の視察では町の中心的な二人の方から話を聞くことができました。
一人目は、南町紫神社前商店街の坂本さん
当初の仮説商店街から現在の商店街を作るまでの経緯と苦労話を聞くことができました。現在の新しい商店街は2017年11月にようやくオープンすることができたそうです。商店街の周りはまだまだ更地が多くありますが少しずつ新しい商店街も増え賑わいが戻ってくることを願います。
二人目は、気仙沼商工会の菅原会頭
これからの気仙沼を発展させるために必要な「販路開拓」「人材」「産業」の三つの視点からお話いただきました。
また、様々な施策を取られているなかでも、特にDMO(Destination Management/Marketing Organization)の取り組みは先進的で参考になりました。これは、地域の多様な関係者を巻き込みつつ、科学的アプローチを取り入れる手法で、気仙沼市ではスイスのツェルマットを参考にしていて現地への視察ツアーも行っています。特にDMOの「観光で稼げる地域経営」を実現するために気仙沼では「Marketing」と「Management」をしっかりと分けて考えていてその実践として「気仙沼クルーカード」という地域ポイントカードを導入している点が特徴です。単なる地域ポイントカードと異なるのはこのカードを使ったデータをきちんと解析することで売り手側ではなく買い手側が何を求めているかをしっかり把握して次のアクションへつなげている点だと思います。
今回の気仙沼視察では、単なる被災地復興現場を見るのではなくそこで暮らしている人々の様々な想いとこれからも社会の中でどう前進していくかを知ることができたと思います。
そして、今回現地を訪れることでようやく被災地の姿を知ることができました。皆さんもぜひ現地を見て語ってください。
(お子さんがいらっしゃるなら家族で行くと旅育になると思います)
Originally published at 城跡広場.