オトナの「趣味」としての歴史

こうのたけし
smashmedia archives
3 min readMay 6, 2015

ちょっと冷静に考えてみると、これからぼくらがどんどんヒマになることは「すでに起きている未来」なんだよね。

経済はグローバル化し、コンピューターによる自動化が進めば進むほど仕事は減るし、それにともなって給料も下がるだろうから、いまのうちからお金のかからない趣味を持っておかないといけない。城巡りとかね。

これから何十年も仕事を作り続ける人もいると思うし、そういう人を尊敬もするけど、ぼくのように「ほどほど」で納得するほうを選ぶ、もしくは選ばざるをえない人のほうが増えていくのはまちがいなくて、じゃあそこで生まれた時間(だけどお金はあんまりない)をどう過ごすかという問題は、そのまま「どう生きるか」という問題でもある。

そういうこともあって、「ライフワーク」というものにここ数年関心が強まっていて、人様のことをとやかく心配する前に、自分が一生楽しめることはなにかなーと思って始めたのがお城巡り。

まあぼくらの世代って「信長の野望」や「三国志」といった光栄世代なので、歴史が好きな人が多いと思うんだけど、学校で習う歴史ってひとことで言えば年号暗記ですよね。ぼくらは必死で年号を暗記して、歴史を理解したつもりになっている。

たとえば鉄砲伝来は1543年。これは銃暦(じゅうごよみ)と覚えましたね。キリスト教の伝来は1549年で「以後よく(1549)広まるキリスト教」と語呂合わせで暗記しました。
だけど、この出来事が歴史にどういう影響を与えたかはちゃんと学んでないのです。つまり鉄砲によって織田信長の天下取りはどうプラスに作用したのか、キリスト教はどうだったのかを学校では習わない。

じっさいには織田信長は鉄砲の威力を誰よりも早く重要視したからこそ武田の騎馬軍団に勝てたわけだし(三段構えはウソっぽいけどね)、信長が仏教など従来の宗教を信じなかったからこそキリスト教は日本に浸透したわけで、すべてつながってるんですよね。

この「歴史の連続性」という当たり前のことをぼくらは学んでない。両親が出会い、セックスしたからいまのあなたがここにいるわけで、同じことは織田信長にも言えることなんです。

たとえば坂本龍馬。
ドラマでも上士と下士という武士同士の階級差別が描かれてましたが、これが生まれたのは山内一豊が1601年に土佐に移封(転勤みたいなもの)されたときに、もともと土佐にいた長宗我部家の旧臣たちの反乱をおさえるために武力鎮圧したのが始まり。

つまり、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝たなければ、山内一豊が東軍についてなければ、あるいは長宗我部盛親が東軍に与していれば、上士と下士なんてものは存在しなかったし、坂本龍馬も誕生しなかっただろう。

こういう知的教養を深めることこそがオトナの趣味だし、ライフワークになると思うのです。じっさい歴史ってのは興味の糸を引っ張れば芋づる式にどんどん新たな発見があって、もっともっと知りたくなる。

なんでもいいと思うんだけど、一生かけてやっても終わらないくらい壮大な趣味を持つってのは、こんな時代に生まれたぼくらに与えられたチャンスなのかもしれない。

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こうのたけし
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