【山の口ぶえ】

山に踊りを奉納する

「山の口ぶえ」プロジェクトは、北アルプス山麓に広がる山と里の境界上で、身体表現者・知念大地の踊りを通じて、山と里、自然と文明、森羅万象と人のつながりを捉えなおすプロジェクトです。

※このプロジェクトは終了しています。

■ 自己紹介

はじめまして、「山の口ぶえ」プロジェクト企画者の佐藤壮生(そうせい)です。本プロジェクトに興味を持っていただき、どうもありがとうございます。

僕は北アルプス山麓の長野県大町市で、昨年まで2年間、毎日猿を追いかけていました。鳥獣被害対策員として、里に降りてくる猿の群れを、大声で威嚇しながら山の尾根まで追いかける、山の世界と里の社会の境界線での仕事です。

ある日、僕がいつもどおり森の中で猿を追いかけていたら、まだ生まれたての子猿を守ろうとした母猿に、凄まじい威嚇をぶつけられた事があります。その瞬間、お尻の穴から脳天までゾクゾクゾクっと悪寒が突き抜けました。一目散で森を駆け抜けて、これが殺気というものか、と妙に感心したのを覚えています。

里で死んだ動物を埋葬することも僕の仕事でした。鹿、猿、猪、熊、烏、狐など、数えきれない動物の死体を山へ運び、埋葬していました。

一度、埋葬場所の近くで、熊のうんこから湯気がたっていた事がありました。怖いけれど、ほやほやの鹿の死体をそこら辺に置いていくわけにもいかず、山中でブルーハーツの「情熱の薔薇」を大声で歌いながら穴を掘るシュールさ。今思うと映画みたいな話ですが、その体験から、自分の弱さ、人間のどうしようもない脆さを少し学んだような気がします。

■ 山と人 SOURCEPANIC

一昔前まで、山は神様の居場所だと信じられていました。北アルプスは火山として、水の源流として、そして死者の霊が集う場所として信仰され、山中の修行をとおして悟りを開くための修験道がありました。それは、山川草木の美しい摂理や、山に身体ひとつでただ存在する厳しさを体感することで、人間が森羅万象の未知と向き合うための行為だったのだと思います。

しかし、多摩ニュータウン近くの郊外で育った僕は、森というのはフェンスに囲われているものだと思っていました。僕たち現代人は残酷で、もし猿が人間の子供を襲ったら、日本狼が絶滅したように、きっとその猿の群れを全滅させます。そうやって、自分たちの生活環境をどんどん自然から隔離して、文明社会は「成長」していったのではないでしょうか。

猿を追いかけながら、そうやって猿と人、山と里、自然と文明の関係を僕なりに考えていく中で、SOURCEPANICというZIN(自作冊子)を発行しました。サブタイトルの「無意識がパニック 魂を喜ばせ」は、精神の深いところで混乱している自分を自覚して、世界の未知に向かい合う決意を表現しています。

創刊号の「空想で鳥になれ」では、鳥の認知する色彩や、鳥の神話、鳥が羽ばたく仕掛け絵(上写真:中のページを「きりとり」して開くと表紙に合わさる)などを掲載しました。第二号は今回も参加する原始感覚美術祭の参加作家インタビューを特集した「原始感覚」です。そして第三号として、僕が猿を追いかけていた山と里の境界で、知念大地が踊る「山の口ぶえ」プロジェクトの記録集を発行したいと考えています。

■ 知念大地

知念大地は、身体(人間)のどうしようもない限界というものを、超リアルな実感として知っている表現者です。だからこそ彼は踊ることで、身体の感度を上昇させて、現実を深く認識し、魂をむきだす。人間の無意識に働きかける力をもった彼の踊りは、山と里の境界上で踊る身体としてふさわしいのだと思います。吉祥寺の町で初めて彼に出会った時、なぜか時間がゆっくり流れているような、不思議な感覚になりました。この感覚は、知念大地を知っている人なら、なんとなくわかってくれるような気がします。

彼はもともと大道芸人として活動していました。最近はダンサーの田中泯さん演出でソロ公演を行ったり、ナント三大大陸映画祭グランプリ・金の気球賞&若い審査員賞を受賞した深田晃司監督の映画「ほとりの朔子」にダンサーとして出演しています。

深田監督の知念大地へのコメントが素敵なので、紹介します。

「大道芸人だいちのパフォーマンスに初めて触れたとき、その身体のあまりに瑞々しい孤独に打ち震えた。親密に肌に吸い付く赤い風船が不意に彼を空へと導く飛翔は今にも崩れ落ちそうで、それだけに美しく哀しい。通俗を恐れず普遍に至る力強い表現に未来を感じ、撮影間近だった青春映画の若い主人公たちと彼を遭遇させたい欲望にかられ、いても立ってもいられず映画出演をオファーした。その直感は正解だった。

もしどこかの街で彼と出会ったのなら、その身体と孤独を共有するしあわせな時間をぜひ味わって欲しい。多分、生きる糧になります。」

深田晃司(映画監督)

■ プロジェクトのすすめ方

このプロジェクトは、長野県大町市の木崎湖で夏に開催される「原始感覚美術祭2015-水まつりうみ」に参加して行います。

まず7月中旬に僕が猿と押しあっていた山と里の境界を巡り、湧水の森、山の尾根、観音様の境内や湖を見晴らす丘で知念大地が踊ります。その記憶を心で熟成させて、8月5日から13日まで、また境界を巡り、踊ります。そして迎え盆の8月14日と送り盆の8月16日に、僕たちが巡って一番共有したいと思った場所を舞台に、踊り公演を行います。それらのプロセスを記録・考察し、SOURCEPANICとして発行して、2015年度中に賛同してくださった方々に送付いたします。支援して頂いたお金は、写真家への謝礼、交通費、編集・印刷費、その他雑費に使わせていただく予定です。

ぜひ、このプロジェクトを応援して頂き、できることなら山と里の境界で踊る現場を体感して頂きたいです。そして、生活を自然から隔離して身体を閉じていくのではなく、森羅万象に開いていく身体(人間)のあり方を感じる機会にして頂きたいです。僕も大地君も2歳の息子がいるのですが、神様みたいに純粋に生まれた彼らはこれから、言葉を覚え、文明社会の常識を学んでいきます。その時の彼らが、もっと自由な意識で、リアルな身体で、自然に生きられる世界を創造したいと思います。

佐藤壮生 2015年5月26日

”初めて見る顔というものがあります。新しい顔ではなく、初めて見る顔です。 
 それは、新しさと古さの間にある、今、現在の何か、変わりゆく、変わらないものです。

生と死の間の連続。それにこだわり続けている身体が、自然と文明の間で踊ります。それは、生と死の間や古さと新しさの間で踊ってきた僕の身体が、肉体性を持つ行為でもあります。そうすることで、間という肉をまとった人の誕生を期待します。その可能性、価値がある、実験だと感じています。
 
 一度きりの、遊びではなく、殻を剥き、歩みだすためのきっかけになるのでは(しなければ)と感じます。目撃者は、その産まれた赤子を、胎内で育むことが出来ます。

共に生きる喜びは、揉み合い、もつれ合い、失うという、その全てに宿るのではないか。 限定し、排除し、「幸せ」を目指して来た我々が、もう一度、自然と文明の間に立ち尽くし、いる、というはじまり。悲しみとともに、いる、と言うはじまり。そのスタートを共有出来たらと思います。”

知念大地 2015年5月15日


Originally published at www.makuake.com. 2015年6月

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