Sato Sosei
芸術祭の記録
Published in
3 min readSep 4, 2016

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お墓ってなんだろうか?

宗教とかを忘れたら、とりえずその根本的な部分は、死者へ思いを寄せる場所なんだと思う。この世を生きた先人を感じるための場所なんだと思う。

お盆だったし、最近よく、夜の散歩で丸山家(母方)の墓の前で独り言を喋ってる。田舎だから、近くに人が来たらすぐにわかる場所なのて、怪しい奴だと警戒される前に自覚できるから、問題はないと思う。死人に口なし、結構よいメディテーション。

僕は鳥獣被害対策室で働いていた時、沢山の獣を埋葬した。そこで感じたのは、生と死を分ける明確な区切りなんてなくて、死は命が世界に溶けていくだけなんだっていう、抽象的な認識。でも、そうとしか思えない確信がある。

豊島でクリスチャン・ボルタンスキーが制作した「ささやきの森」は、そういう生と死を感じさせる作品で、僕の中にアートの可能性を改めて開いてくれた。

その日の朝は台風の影響で大雨だった。10時頃には雨は止んだけど、まだまだ強風が吹いている。ささやきの森は山の中腹にあって、いつもはあまり風が吹かない場所らしい。でもその日は、台風一過の晴天で、風がすごく強くて、そういうタイミングだから、僕にこの作品と出会わせた。

自転車を止めて森を20分くらい歩くと、入り口のおじさんがパスポートにスタンプを押してチケットを渡しながら、この奥には大切な人の名前が書いてあるんです、と教えてくれた。でも実はボルタンスキーは、死者の名前をそこに入れたかったらしい、という事を事前に制作スタッフから聞いていた。

森の中で、大量の鈴の音が聞こえてくる。けものみちを進むと、400の風鈴が森の中にぶらさがっている。風鈴には人の名前が書いてある透明な短冊。風鈴の内径よりも少しだけ小さい円が風に吹かれてクルクルと回り、風鈴が優しい音で細かく響く。400の風鈴が鳴る森の中、木漏れ日の強い日差しが、クルクルまわる透明な短冊に落ちて、反射した光の粒が森の中を高速で縦横無尽に動き回わる。死者が音を出してクルクルと踊り、それによって光の粒が高速に動き回っている。風と音と光、五感で感じる自然現象から見出す死の残響が、死者がいつも僕らのそばにいるような、新しい死者との関係性を見たような気がした。親父が死んだらここに来れるように、進めてみようと思う。

いつか、こんなお墓がどんどん増えて、
山全体を埋め尽くしたら、何かもう少し、僕らは死を自覚できるのかもしれない。

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