芸術祭のフェーズ

Sato Sosei
芸術祭の記録
Published in
5 min readJun 30, 2017

北アルプス国際芸術祭が始まって、1ヶ月が過ぎました。天気にも恵まれて、ありがたい事にたくさんの人達が訪れてくれていています。準備段階、制作段階とは全く違うフェーズに入り、どこか浮き足立っていましたが、開幕前日になった軽度のぎっくり腰が回復するにつれて、すこしづつ地に足がついてきました。

行政が主体となって行う「芸術祭」には、良くも悪くも社会とアートの関係をむき出しにする効果があると思います。当事者なのでなかなか客観的にはなれないですが、今回の北アルプス国際芸術祭に企画段階から関わってきて「場を開く」ことでアートと社会が混ざり合うような希望を感じています。豊かな水と緑の季節に、ぜひ信濃大町へ訪れてください。

自分としては、2014年の「食とアートの廻廊」から3年半。色々な人にお世話になりつつ準備してきた事が何に繋がったのか、その因果をみつめる時期なんだと思っています。そう考えながら、この期間を5つのフェーズに分類してみました。

1・探す

2・繋げる

3・創る

4・お披露目

5・終わる(記録)

・探す

北アルプス国際芸術祭の最初のフェーズは、アーティストや場所、賛同者、スポンサーを探すこと。芸術祭の舞台となる長野県大町市の、どこに、誰が、どんな焦点をあてるのか? というリサーチと計画の段階です。猿を追いかけて大町中をドライブしていた2年間、そしてNPO法人ぐるったネットワーク大町で地域について学んだ2年間の経験を基に、大町市を5つのエリアに分けてそれぞれのテーマを設定したり、参加候補作家のリストを作ったりする妄想リサーチをしました。そして、地域の理解者を募るためにシンポジウムや勉強会を行い、スポンサーを見つけるために大義名分を盛り込んだ企画書を書く事もこのフェーズだったと思います。

2014年に開催した「信濃大町 食とアートの廻廊」の反省から、2017年の芸術祭本気だす、と腹を括ったとはいえ、行政との関係性や、それに伴う公的事業としての責任、芸術祭開催への批判にはそれなりに神経が磨り減る時期でした。しかし、思い返えせばそれが様々な視点に気づかせてくれて、自分の進んでる方向を自覚するきっかけになり、その現象自体がバネの様にそれ以降のフェーズで面白い影響を及ぼしたと感じています。

・繋げる

フェーズ2は、場とアーティストを繋げること。AFGの現地スタッフとして、沢山のアーティストが、初めて大町と出会う機会をコーディネートさせてもらいました。大町の風土、地勢、歴史を紹介しながら、アーティストがどんな世界認識で今を生きていて、大町にどんな印象をもったのか話せたことは、とてもいい経験になりました。どんな場所にも様々なレイヤーが潜んでいます。それぞれのアーティストが独自の視点とスタイルで「場」を認知し、物理的、予算的、技術的な制約を含めて、そこで何を創るか考えながらこの地域を巡ること。あらゆる種類の情報が閃きのきっかけになりえるし、すべての情報はアイデアの邪魔になる可能性もある。そういう無常さ、瞬間の中に、場が立ち上がる可能性があるんだと思います。あるアーティストがすごい集中力で場と対峙していた時、僕には見えない場の力と交信しているように見えて、なんだかとても楽しみになったのを、よく覚えています。

・創る

ほぼ3年間、妄想と不安と大義名分との間で揺れる計画期間を経て、2017年の雪解けとともに始まった制作フェーズ。今までの苦労が報われた、と思えるほど楽しかったので、やっぱりアートが好きなんだと改めて再確認しました。アーティストが現地に入り、地域のサポーターや事業者と一緒に作品を立ち上げていくというのは、観念の遊びではなく、実際に一緒につくることによって共感すること。調整も段取りも未熟な自分にととやかく言いつつ、受け入れてくれた人達にとにかく感謝した時期でした。この「創る」喜びや苦悩、創意工夫と達成感が、アートの本質的な理由、存在価値なんだと思います。

・お披露目

現在。有難いことにテレビ、新聞、雑誌などの様々なメディアに取り上げられて、たくさんの来訪者が芸術祭を目当てに大町市に訪れています。作品のメンテナンスにぐるぐると周りながら、その状況はとても喜ばしいと思いつつ、作品が立ち上がるダイナミックさが落ち着いて、評価し、評価されるこのお披露目期間にどこかまだ居心地が悪いのが正直なところです。しかし、北アルプス国際芸術祭に最初から関わって来たことの意義を、自分なりに考える時期なのだと思います。芸術祭が地域に及ぼす影響、アートが場に起こす変化を、みつめていきたいです。

・終わる

近い未来の話。あと約一カ月で芸術祭の会期が終わります。祭りのあと、この芸術祭の成果や意義をみんなが改めて語り始め、そこで見つかった価値や弊害を考察して、芸術祭を続けるべきか、なんのためにするのか、そのためには何が必要か、よく考えなければいけません。そこで今回の芸術祭をどのように記録し、記憶していくかというのはとても重要なファクターだと思います。万人にとって面白い「芸術祭」を続けていく事は、とても難しいことです。2020年、東京を含めて日本中でイベントが目白押しになるであろうオリンピックの年にこの地域は何をするのか?地域とは、創造的な祭りとはなんなのか。そういう根本的な因果をつなげて、自覚的に展開していくきっかけとして、この芸術祭の経験を活かしていくことが大切だと思います。

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