水源 × 新津保建秀+池上高志 「不可視な都市:ロング・グッドバイ」

Sato Sosei
芸術祭の記録
Published in
3 min readSep 25, 2017

大町温泉郷の、忘れられた地下室に現れた、雪のように見える塩の部屋。そこに断片的な映像が投影されている。この作品「不可視な都市:ロング・グッドバイ」は、多くの地元の人に、「あれはなんだだ?」と言われて困った作品でもある。僕は作家と面識が無いので、個人的な想像だけれど、雪で閉じこもり、春の芽吹きで解放されるというこの町の循環する特性と、人の記憶が川の流れの様にうつろうという精神性を繋げて、その上に複雑系の科学者である池上 高志氏の言う、自律性、Movementの真理が重ねられているのかもしれない。

が、それが何かをわかったり、そもそも何を主題としているのか体感できるタイプの作品ではない。池上の研究の視点から、現在進行形のアイデアが走り書きされているという黒板を興味をもって眺めていたけれど、僕の知識では全く繋がらなかった。もしいつか会うことがあれば、皮肉まじりに教えを請いたい。(嘘、素直に何が書いてあったのか聞いてみたい。)

以下、作品説明文

Long Good-Bye
Long Good-Bye、 ゆっくりと戻ることのないサヨナラをする。人は毎日いろいろなことを意識・無意識に記憶にとどめますが、その多くは思い出されることもなく、どこかに静かに消えていってしまう。
いつもサヨナラしているのです。たとえば、何気ない友人との会話、ある日飛行機から眺めた雲海、小学校の校庭の水たまり、大雪の日の部屋の静けさ、そうした音と光の断片がエピソードとして残っては消えていきます。それはちょうど冬にどっかりと降った雪や湖の氷のようです。やがて気がつくと跡形もなく、なくなっている。
作品ではこの地下を夏に持ち越して雪を貯蔵した場所とし、そこに断片的な記憶のイメージが投影されています。その映像は新津保の写真作品「\風景」に描かれる、場所に残存する気配の記憶ともつながるテーマです。
今年の1月に、長年の友人でもあるRolf Pfeiferがレクチャーしに大学を訪れてくれました。そのときの聴講生との会話テープが作品の背後に流れています。ロボットの研究、自律性、形の計算、フレーム問題…….などレクチャーに関連した問題が、池上の研究の視点から使い古された黒板に走り書きしてあります。それは心と身体に関する複雑系の非常に現代的なテーマであり、現在進行形のアイディアです。それはまた賢治の青い有機交流電燈に通じています。畢竟、科学の営みも心象風景のひとつなのです。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

春と修羅 序

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