コミュニケーションてめんどくさい


んー、まぁなんだろ。こう、ツーといえばカーという話でもないけど。こっちが一言発すれば、その技術的・思想的・科学的・歴史的背景を自前で参照し、こっちが言ったことに至ることを理解し、その上で同様のことを要求する返答が返ってくるという会話はものすごく楽。

ある種の文章や発表ではほんの少しだけ違う。その場合はこちらもそのモードで書いたり話したりする。でも、その場合でも上に書いた場合に近い。

でも、それとはまったく違う会話モードが必要とされる場合がある。その場合、ものすごくめんどくさい。例えば、「その技術的・思想的・科学的・歴史的背景を自前で参照し」という部分。「自前で参照し」ではなく、そこも話す必要があったりする。これがすごく面倒くさい。

上に書いた場合だと、「自前で参照し」というのはこっちにも要求されている。なら、その分、結局面倒じゃないかと思うかもしれない。でも違う。「自前で参照し」のコストが非常に低いから。

例として何を挙げても構わないのだけど、Python―Rubyでも、他のでもいいが―でプログラムを書くのと、機械語かアセンブリ言語でプログラムを書くのとの違いと言っても良いかもしれない。(若い人と話す時には機械語でプログラムを書くような状態でも気にならない。楽しいから。それに自分の知っていると思っている事を確認でき、場合によっては自分でも実は分かっていないという事を発見できたりする。それも楽しい。)

そういう状態での会話なので、短い時間で細かい―あるいは深い―ところまで話し合える。

でも、一般にいうコミュニケーションにおいてはそうではないように思う。というより、一般にはそういう会話についてはむしろ否定的なんじゃないかと思う。おまけに、細かいところを話す時間がなかったり、細かいところを話しても理解できなかったり。つまり、そういうのに否定的なのは、基本的にはアレだから。ミーティングで資料を読み上げるのもアレだ。

アレをアレとしか書かない方がいいのもアレだけど。

あぁ、面倒くさい。

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